筑紫の宇佐八幡に隷屬する傀儡子と攝津西宮廣田神社の傀儡子とが全然同一のものであつたとは考へられない。何故なら西宮の傀儡子は産所であり、産所と云ふのは前述のやうに先住民族のうち大和民族に同化し切れずに取殘されて賤者階級に落された集團であるに反して、筑紫の宇佐八幡のそれは印度支那系統の別種の民族に屬するものと信じられるからである。
 そこで考へられるのは信仰の複合と云ふことである。産所の傀儡子の人形は、「人形の二系統」で述べたやうに、私はおしら神系統のとり物信仰から發達したものと考へてゐる。おしら神が最初カギ形の木の枝であつたのが次第に生長して人の形を取るやうになつたことは柳田氏の該博な研究に依つて明かとなつた。從つておしら神時代のそれはただ人形《ひとがた》であるにとどまつて、これを手に執り持つことに依つてその巫女は神格を得、神人交通の靈力を得たのである。葬送の業を掌つてゐた土師部族の産所が神靈界に交渉を持つて、斯う云ふおしら神なぞに依つて除禍招福の力を持つと云ふ風な信仰を集めるやうに一般民の間に立廻つたことは當然と考へられる。然も初めにはただ執り物であり神格の表象に過ぎなかつたおしら神が
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