民族の土蜘蛛やアイヌ族にも知られてゐなかつた。銅及鐵の採鑛は知られてゐたらしいが黄金の採鑛精練には通じてゐなかつたらしい。それで彼等北部九州の部族は海上交通權を握ると共に一方日本島内に海陸相連絡して次第に遠く深く入りこんで行つて、金銀銅の諸鑛山を求めたのであらう。そして彼等の足跡の至る所八幡神の信仰を殘して行つた。これが八幡の社が日本全國にあまねく分布してゐる理由であらうと思ふ。夷三郎の方は海上の神として何處までも海邊にとどまつた。海上の神はやがて海産物の神となり、次いで海の産物と山野の産物との交換、山の物と田の物、工作物と農作物、これ等物々交換の市の神となり、更に轉じて商ひの神となつた。ここに夷三郎信仰の定着を見る。陸へ上つた八幡神はその定着の經路が明かでないが、一つは神功皇后三韓征伐に對する軍功と、採鑛冶金の術が武器の製作と密接に關係してゐる處から武家の守護神となり、一般民衆の爲めには惡魔折伏の神となつたのではなからうか。

         六、信仰の複合と技術の複合

 八幡神と夷三郎神とは常に不離の關係にあり、人形操はまたこの二神に必らず結合してゐるものとする。然しながら此の
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