。止むなく社殿をめぐつて資料を漁ることとした。八幡宮の社殿は拜殿と接續してゐる。その左方に別棟で小社が新築されてある。之れが百太夫であると云ふが、神前に掲げられた扁額を見ると中央に「事代主神社」とあり、その右に「道薫坊」「百太夫」と並べ、左に「秋葉神」と書いてある。之れで見ると道薫坊と百太夫は昔から殆ど異名同體の如き取扱ひを受けてゐたことを示してゐるのではないかと思はれる。事代主が夷三郎を意味してゐることは明かで、夷三郎と百太夫との關係は周知の事實としても、茲に秋葉神が合祀されてゐるのは何の理由に依るのか甚だ了解に苦しんだ。
然るに拜殿の前の石燈籠には中央上部に「蛭子大神宮」とあり、その下に向つて右に「願主源之丞」「座中」「天明五乙巳十一月吉日」と並び、左に「村中」と刻んであるのを發見した。さうして見れば古くはこの社殿には八幡宮と夷三郎と一緒に合祀されてあつたのが、後に八幡宮と夷三郎とが別れて、夷三郎と百太夫との社殿が新に造營されたのではないかと想像された。のみならず源之丞座中が村中と對立してゐるのは當時の三條村が源之丞座に依つて代表されてゐたとも見られ、或は源之丞即三條村であつたこ
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