とを暗示するものと考へられる。尚拜殿の天井には「源之丞座中」と書いた、古く操に持廻つた確に人形の箱らしく思はれる形の木函が奉納されて吊り下げてあつたし、また片隅の棚には嘉永六年の年號のある古風な行燈が乘せてあつた。昔はこの社殿の前で操を演じたと云ふことであるから、この行燈などもそんな場合に用ゐられたものではなからうか。それから社殿の西側に相當大きな平家建があるので、何か祭神の器具でも納めてあるのかと想像して案内の吉田家の人に訊ねて見たが、これは村の人達の集會所に充てられるもので、何も這入つてはゐないと云ふことであつた。して見ると三條では今でも明かに此の八幡宮を中心にして聚落生活が行はれてゐることがわかるのである。
市村には別に立派な市の蛭子神社があるが雪が益※[#二の字点、1−2−22]降りしきるので斷念して、間近い元祖上村源之丞の家を訪ねて見た。然し之れも當代の源之丞は一家をあげて二十年程前に徳島に移轉してゐるので何物も見せて貰ふ譯にはゆかない。ただ古い門構へや、その傍に長い納屋風の人形倉が並んでゐる樣子が如何にも古い座元の家らしく感じられて興味が深かつた。歸途は四國街道の養宜《や
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