達は稍※[#二の字点、1−2−22]悲觀せざるを得なかつた。
翌日は朝早く鼓の音に目をさまされた。訊いて見ると松の内のことで操の「三番叟祝ひ」が人形を持つて町家を廻つてゐるのだと云ふ。流石は地元だと昨夜の失望を取返して、島夫人に頼んでその一組を呼びこんだ。人形を舞はすものが三番叟を謠ひ、笛を吹き、鼓を打つものは扇型の薄い木片で拍子を取りつつ鼓を打ち、時に千歳黒尉の掛合に相方を務める。この人形は極小く、約一尺五寸位であるが、演技は昨夜の操と大差はない。幾分の短縮と粗雜さとがあることは云ふまでもない。然もこの謝儀は願主の心持次第であるが、先づ五錢が通り相場だと云ふに至つては寧ろ低額に過ぎ、彼等の經濟組織が依然封建時代的であるのに驚いた。
朝食後自動車を傭うて片山君の案内で三原郡市村字三條に向つた。朝からの曇り空は遂に淡路に珍らしい雪を降らした。途中廣田村字廣田の廣田八幡を訪ねて、一路目的地三條の三條八幡に着いた。社頭の松の下に雪を避け、藁を焚いて暖を取りながら、吉田氏の内方に斡旋を乞うて百太夫社の開扉を待つたが、生憎責任者の組長が不在で遂に不可能となり、宿望の百太夫像は見られずに終つた
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