るより外はないが、津名郡に鳥飼村があり、名所圖會に「鳥飼莊。此傍邊をいふ。いにしへ鳥養部を置し所にやあらん。」といふのはその傍證になるかも知れないし、喜田貞吉博士がその「土師部考序論」(「民族と歴史」第五卷第三號)に於て、「是等の民は單に葬儀や墳墓の事などに從事するのみであつては、其の次第に増加する人口を糊するに足りなくなる。そこで彼等は身を浮浪漂泊の徒に伍し、祝言を述べ遊藝を演じて所謂ホカヒビトの仲間となる。」と書いたやうに、淡路に土師部がゐたと云ふことも、土師部が人形舞はしと結合したと云ふことも充分信じ得べき推定である。ただここにはつきり區別しておかなければならぬのは土師部の埴輪系統の人形と傀儡子の木偶系統の人形とは全然成立の根底が違つたものであると云ふ點で、之れは別稿「人形の二系統」に説いた通りであるが、淡路の傳説は人形と云ふ名の下に單純にこの二つを混淆したに過ぎない。
 更に考へられるのは三條=産所と土師部との關係である。土師部が上代の特殊部落であつたやうに産所は中古の特殊部落であつた。産所の本體に就いては尚定説がなく、喜田博士はこれを散所と解して定住地なく諸所に散在する賤民で
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