いて地元の古老は次のやうな興味の深い傳説を聞かせてくれた。淡路では最初人身御供として神の犧牲に人間を供へてゐたのを後代になつて、人の形を作つて人間に代へるやうになつた、これが人形の始まりである。處で人形操を演ずる場所を芝居と呼ぶのは、上古この人身御供代用の人形をけがれたものとして家の中へ入れることが許されなかつたので、戸外の芝の上に並べて賣つた、人形をひさぐ處即ち芝居であつて、これが轉じて人形操をなす場所をも芝居と云ふやうになつたのである。――元より無稽の臆説であるけれども、そこには充分考察すべき多くの暗示を含んで居る。
 第一に考へ合せられるのは人間犧牲を人形に變へたと云ふことと、野見宿禰の殉死に代へる埴輪の話である。これは密接な關係があつて、恐らくこの場合の人間犧牲は殉死を意味するものであらう。さうとすればそれは葬送に關係した仕事であり、この點から彼等が人形をけがれたものとして取扱つた意味が諒解されて來る。葬送と墓造りと土器製作を掌つたのは土師部《はじべ》である。然らば淡路の人形造りは土師部であつたか。そしてまた土師部と人形操傀儡子とは關係があるのか。之れ等の點に就いては單に推定す
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