司家御用の人足帳と云ふものが上村源之丞の座元にある。即ち鷹司家の人足として隷屬してゐると同時にその元締に當る座元には名字帶刀を免ぜられ鷹司家の定紋提灯を用ゐることを許されたのである。地方巡業の際この定紋提灯があると、源之丞座の興行地點を中心にその一里四方以内に於ては凡ての興行物は停止され、川越えの際には何人よりも先きに渡ることなどの特權が與へられて、中央政府なり貴族階級なりから特別の保護と獎勵とを加へられてゐたのであるから、彼等人形操の位置と技術とは當時の文化の中心から相當に認められてゐたと考へられると同時に、それだけ彼等の技術が進んだものであつたと云ふことも信じられる。
 然しながら、彼等の演出した曲目は「夷舞はし」と「三番叟」とが主體で、その後諸國巡業中京師やその他の文化の中心に觸れるに從つて次第に彼等の技術は展開し、新しい演出の方法《メトオド》と演出曲目《レパルトワル》とを發見し、添加して行つたであらう。例へば平曲から出た説教節や幸若舞曲風の要素が取入れられて、單純な物語の多少劇化したものをテキストに作りあげて、之れに依つて徐々に複雜な演出を試みたのであらうと思はれる。がこれを現
前へ 次へ
全46ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
竹内 勝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング