といふと作れり。今は大御堂といへり。秉穗録云、麻績堂は國中の婦人會聚して麻を績《うみ》たる所なり云々。」淡路と麻との關係に就いては津名郡|來馬《くるま》村に伊勢久留麻神社があり、名所圖會に、「一書[#(ニ)]伊勢の久留眞《くるまの》神社は(中略)麻を植そめし神にて阿州|麻殖郡《をゑのこうり》にも同神あり。」と述べてゐる。然も同社は延喜式に「淡路國津名郡伊勢來留麻神社」と出てゐるから由來する處遠く、從つて淡路には古くから製麻が盛んだつたのであらう。吉田氏の言に依れば今の三條八幡が即ち元の大御堂と稱へられた處で、正しくは緒紡《をみ》堂と書くべきであり、これは昔村の人々が集つて緒を紡ぐ集會所であつたのだと云ふ。麻の緒を紡ぐことと人形との關係も一應考へて見る必要があるが、産所の部落民達はこれで見ると他村とは違つた共同的な生産事業を營んでゐたものらしい。そしてそれは一般人とは變つた、即ち上古の雜戸の部に屬する特殊な仕事であつたのだらうとも考へられる。例へば京阪地方で産兒の宮詣り(男兒は出産後三十一日目女兒は三十日目に産土神《うぶすな》に健康と幸福をさづかりに來る)に必らず麻緒を産衣に結びつける、
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