八幡があり、廣田村字|中條《なかすぢ》には同社の御旅所と向ひ合つて蛭子社がある。西宮と淡路との因縁は斯樣に古く、又深いのである。
然らば西宮産所の百太夫に擬せられる傀儡子が淡路の産所を目ざして出て來たのも偶然ではなく、來るべき充分の理由があつたのであらう。即ち同一部落の交通がそこに暗示されてゐる。加之彼が入家した家の名が菊太夫と云ふことを考へれば之れも何か傀儡子に縁のありさうな名である。或は百太夫以前にこの産所に極めて原始的な傀儡子があつたのではないか。名所圖會に、「里老の傳説に往昔《むかし》西宮に百太夫と言《いふ》もの木偶《にんぎやう》を携へ淡路に來り、此村の麻績堂《をうみだう》に長く寄宿せり。時に此村の木偶師《にんぎやうし》菊太夫なるもの百太夫を伴ひ歸り留ける内、菊太夫が娘に契りて懷胎す。」とある。之れは私の考を裏書するやうである。麻績堂《をうみだう》に就いては同じ名所圖會が次のやうに記して居る。「一説に總社の祭禮に産穢の者はいづれも避けて當村の麻績堂に産育せし故こゝを産所といふ。(中略)又飯山寺社記には伊弉諾伊弉册の二神日神月神蛭兒素盞嗚等を生給ふ地なるゆへに産生《さんしやう》
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