張することが出來るのである。即ち文樂座は明かに純藝術的な演技であるが上村源之丞座は未だ全部が純藝術的になり切らない、宗教的意義の名殘をとどめてゐる過渡的な演技を含むと云ふべきである。そこに淡路人形操の正しい位置がある。
三、操座の由來
淡路の人形で最も歴史の古いのは勿論三原郡市村字三條の上村源之丞座である。津名郡志筑町の淡路源之丞座は比較的新しく、同郡鮎原村の小林六太夫座よりも後のものであると云ふ。吉田氏の説に依れば約百年位前の創設であらうと云ふ事であつたが、それは勿論確實な根據のあるものではない、種々の事情を綜合して考へれば少くとも二百年位には溯り得ると思はれる。然もこの最も新しいとされる座が代表的な淡路源之丞の名を持つてゐるのは不思議であるが、調べて見ると最初は上村源左衞門と稱して上村源之丞の一派であつたのを後、諸國巡業に際して人形の元祖として古く賣りこまれた源之丞の名が芝居道の團十郎菊五郎の名の如く勢力を持つを見て、之れを襲用することの便利さを感じて淡路源之丞と改名したと云ふのが眞相らしい。從つて地元では淡路と云ふやうな土地全體を代表するやうな名を認めず、
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