と兩手、一人が兩足)ことになつてゐる。それだけに、義太夫物とは違つた古いメトオドを持つてゐるのである。尤も「夷舞はし」の方は古來のものとは非常に變化してゐると云ふことが吉田傳次郎氏の談片にあつたが之れは信じられると思ふ。即ち「夷舞はし」は人形操に依つて生れた漁撈農耕の豐饒を祈る祝祭的行事であるが故に、民衆の要求に從つて民族心理の變化と共に演ずる内容形式に變化を受けるであらうと云ふ事は自然の經路であるからである。之れに比較すれば「三番叟」は比較的によく古來の形式を守つて來てゐるらしい。何故なら「三番叟」そのものが古く能樂以前から一つの形式が出來てしまつて居り、その出來上つた形式を人形に持ちこんだのであるから、一種の宗教的儀式の如く餘りに多く時代的變化を蒙ることなしに、忠實に傳統を遵奉されて來たものであらう。これは能の翁を見ても證據立てられるし、吉田氏自身も承認してゐた。この點から見れば「三番叟」が現存の操の最も古曲と考へられるのみでなく、その「三番叟」と「夷舞はし」の二曲を淡路の人形座が常に上演曲目《レペルトワル》に加へてゐることに依つて、始めてそれは文樂と異つた特殊な存在であることを主
前へ
次へ
全46ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
竹内 勝太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング