自由自在に心のゆくまゝにやつては止める
朗らかに歌ひ終る
まつたく天品だ。
「鶯は人を喜ばせる爲めに啼いてゐるのですよ」
と俺の妻が分のわからない小供に話してゐる。本當だ、
今に俺の詩もさうなるよと俺は思ふ
鶯よ、御前は飽きもしないで、同じ事をくりかへして居る
朝から少しも疲れもせずに、日の永い一日、
内氣なお前は姿も見せずに
大きな自然の中で
靜かさを一杯身の内に吸ひ込んで
氣が向くと、休んでは心をこめて歌ひ出す
未だそこにゐたのかと思ふ。

一日一日御前の聲は美くしくなる
一日一日調和して來る春景色の中で
御前の聲は強くなる。勵んで來る
だん/\自信がついて來る。
いつも勉強な鶯よ、
御前は短い春をあせりもしないで毎日根氣よく
同じ事をうたつてゐるね。

  祕密

小供は眠る時
裸になつた嬉しさに
籠を飛び出した小鳥か
魔法の箱を飛び出した王子のやうに
家の中を非常な勢ひでかけ廻る。
襖でも壁でも何にでも頭でも手でも尻でもぶつけて
冷たい空氣にぢかに觸れた嬉しさにかけ廻る

母が小さな寢卷をもつてうしろから追ひかける。
裸になると小供は妖精のやうに痩せてゐる
追ひつめられて壁の隅に息が絶えたやうにひつついてゐる
まるで小さく、うしろ向きで。
母は祕密を見せない樣に
小供をつかまへるとすばやく着物で包んでしまふ。
[#地から1字上げ](一九一八、三、使命所載)

  月の光

天地も人も寐鎭る
底無しの闇の中に
どこからか音も無く
ボンヤリと月の光りが落ちて來た。
巨人の衣の裾が天上からうつかりずつて居る樣に
貧しい家の屋根の上に
皺をつくつてだらりと垂れて居た。

  泣いてゆく子供

原の隅を
二人の小供が泣いて行く
喧嘩した二人が
同じ樣に泣いて
晝間のふくろのやうに煩さく、苦るしく
泣いては止め
止めては泣き
何がそんなに悲しいのか
急につまら無くなつたのか
仲善く日當で遊んで居たのに
二人とも同じ方へ
一人が先きになり
一人が後になり
どつちが、いゝのか惡いのか
どつちも同じ位に泣いて
晝間のふくろのやうに煩さく、苦るしく、むし暑く
一人が泣くと止めた方が思ひ出した樣に泣き初め
まるで呼び交はし乍ら
かけ出しもしないで、ゆつくりと
だん/\遠ざかつてゆく
あとからゾロ/\泣かない小供がつまらな相に、
皆んなとむらひでも送る樣に
默つてついてゆく
原の隅の小さな家の窓が開いて
女が首を出して何か云つた
泣き聲に向つて。
[#地から1字上げ](三月二十八日)

  子供

あゝ何と云ふ小さく子供が見えるのだ。
未だ三歳だから
日の光りの中で
うつかりすると見失つてしまふ程小さい
だが、あの眼、鼻、口に現はれる魅力
何と云ふ大きな愛が現はれるのだらう。

  我儘な男

寺の前の石塔のかげに彼は眠つて居た。
冬の夜更けに
彼は晝間の間其處で本を賣つて居て冷えこんで動けなくなつた。
彼は梅毒を患つて居た。
彼は商品を包んだふろしき包みを枕にして地の上へ眠つた。
一人の青年が近づいて彼の容體を聞いて
金を與へるから馬車に乘つてかへるか
酒を飮んで暖をとつたらとすゝめた。
彼は青年の近づくのを待つてゐた樣に
藁を買つて來てくれと卒直に頼んだ。
彼は動く事は出來なかつた。
青年は町を走つて行つた
丁度今戸を閉めようとする米屋へ行つて藁を賣つてくれと云つた。
米屋には藁がなかつた。
青年は困つた。
道の上に立つて見廻すと皆んなどこの家も戸をしめてゐた。
青年は彼のところへ引返して
「藁がないが如何したらいゝだらう」と云つた。
彼は「無い筈がないそんな藁一枚ない筈がない、嘘だ」と云つた。
青年は困つた。辯解した。
彼は「構つて下さるな、向ふへ行つて下さい、
藁が無い筈がありますものか、たつた一枚二錢か三錢の藁が、
どこの米屋に行つてもあります。」と云つた。
青年は默つて立つて居た。
側から近づいた女が
「この方は本當に藁を探しに行つて來て下さつたのですよ」
と云つた。
彼は聞き入れなかつた。
地の上に眠たまゝ動かずに何かブツブツ云つた
少し醉つた書生が近づいて「我儘を云ふものでは無い」と説いた。
彼は襲ひかゝる寒さと睡魔の中から
「金を遣るの、酒を買つてのめの、藁が無いのと皆んなうそだ。
ちやんと解ります、本當に氣の毒だと思つて云つてくれる人の言葉は
私には解ります、皆出はうだい云つてゐる。金を遣るなら、何故、
明日にも困るから、何かの足しにしてくれと云ひなさらないのだ。
皆んな嘘だ」と云つた。
青年は二十錢紙幣を手に握つてふるへた。
「贅澤云ふな、醉拂ひかもしれない、構はん方がいゝです」
と書生は云つた。
「あれは本當の事を云つてゐる。あれは本當だ。」
と青年は口に出さなかつたと思ふ程心の中では強く、
口では小さく云つた。
然うして金を手の内に握つた儘、渡す事が出來なかつた。
そこへどこかから一枚の藁を女が引ずつて來て
「これ切りないのだから之で堪忍して下さいよ」と云つた。
彼の男は禮を云つた。
然うして足の方が寒いから足の方へかけてくれと云つた。
女はその通りにした。
「贅澤な奴」と書生は苦笑した。
彼はもう默つてしまつた。落着いて眠る樣に
然うして皆んな去つた。
青年もプイと去つた、心が變つた樣に
然し青年の胸には彼の云つた言葉や動作が殘つた
その切れ/″\のふるへ聲が殘つた
彼にはあゝ云ふ權利があるのかと青年は考へた
自分を貧乏の書生と思つてあゝ云つたのか
彼には本當の事がわかるのだらうか、
然う思つて青年は恥づかしい氣がした
然うして未練に責められ乍ら
ふと晴れ渡つた空を見て
「地面の方が人間より暖いだらうな」と云ふ考へが浮んだ。
青年は彼の言葉を思ひ出す度びに涙ぐんだ
自分の不甲斐なさを感じた。
彼の卒直な我儘は自分の餘裕のある慈善心より本當だと思つた。
彼は本當の事を教へてくれたと思つた。
[#地から1字上げ](一九一八、三、二七)

  夢のシイン

あゝ春だ。日は未だ淺いけれど
地面を踏めば萬感が湧き起る
黒くしめつた空地には一杯青い平べつたい草が萌え出した。
踏むのが勿體無い氣がする
何故なら其處には幸福がある氣がするから
何と云ふ靜かさの中に
自然が春を裝ふのだらう
木も草も空も萌えた色をしてゐる
夢のシインのやうだ。
昔の人が空に浮ぶ雲を女神の衣裳に例へたのも道理だと思ふ。
自分はこの春の仕度にいそがしい
萬物の中を一人家を出てさまよひ歩りく
至る處に自然の惠みを感じる
疲れ切り乾ききつた自分の體の骨に感じるやうに
柔げられた春は外から浸み込み
内には萬感が起る。
恨みも反感も、憎みも本當に消えてしまふ。
あれは皆んな體が惡かつた故の氣がする。
人々の上を思つて涙ぐみ、幸福を祈る
有難い春だ。
まつたく攝理を示してゐる
然し或日、
自分は尚冬の名殘の淋しさがそこらに見える郊外を歩いた。
自分の心は洗はれた。しみ/″\した。
然うして思はぬ遠歩きをして場末の街道の方へ出た時
自分は道の向ふを來る亂髮のぼろをまとつた女と、
その手を曳いて六歳位の男の子が來るのに出會つた。
自分は「うん」と唸つて立止つた。
目がくらんでしまつた。
つむじ風に身體を卷かれたやうに
腹の内につむじ風が起つて自分はぐる/\廻轉して
道の眞中に立止つてしまつた。
女はそんな事には關係も無く
そろ/\と自分の側を通り過ぎた。
あゝその姿のいたましさ
瘠せ衰へ、
脊の小供の重さにおしつぶされたやうに首をうなだれ
幾日も幾日も湯に入らないので垢が白く粉をふいてしまつた
頸筋をあらはし
生れてから油をつけた事はないやうに髮は亂れて前へ垂れ
川尻の塵捨場の山の中にあるやうな
すり減つた下駄をはき
竹の杖をつき乍ら、うつむいて
この春に出逢ふのが面目ないやうに歩いてゆく
眼が見え無いのだ。
貧はこの女の眼までも奪はうとしてゐるのか
それは日の目を見る事が痛くて出來ないのだ
天を見無いで、地面許り見てゐる
脊に眠る小供におしつけられて首ものばせず
腰は極端な謙遜で曲つてゐる
冬中どうしてしのいで來たのか
その半ば盲目の母の手を
亂髮のしかしいゝ顏をした負けぬ氣性の眉宇に現はれた男の子が、
(天はこの子にこの立派な面魂をせめてさづけたのか)。
手をひいて歩いてゆく
脊の小供は眠つて居る。
自分は突差に袂にある僅か七錢の金を手に握つた
然うして見え隱れあとをつけた。
然し三人の親子は自分があとをつけて居ることは知らずに歩くので自分の方が先きになつてしまつた
自分は川を流れてゆく杖を追ひかけ拾ふやうに、
先越しをして路次に立つて、
流れて來るのを待つて居た。
何と云ふ靜かな歩き方だ。のろい流れだ。
もつと早く歩かなくては幸福は逃げてしまふ
そこへ來た時自分は
「ばうや」と男の子を呼んだ。
然しその聲は胸がをどる程大きいと思つたが、
向ふが聾なのか小さくてか聞えなかつた。
自分は恥づかしくて立すくんだ。
三人は又行き過ぎた。
自分は引返へさうと思つた
然しもうそんな餘裕はなかつた。
自分は又三人を追ひ越した。
然うして今度は路次のほとりに何氣なく立つて
通りかゝつた小供を何氣なく呼んで金を渡した
今度は聞えた。聾ではなかつた。
然しこの小供は唖であつた。禮も云はずに
金を受取ると默つてすぐ母に渡した。
母は首から紐をかけて懷に入れた
財布を出してその中へ七錢の錢を入れて禮を云つた。
「大變でせうね」と自分は云つた。
云つたあとからきまり切つてゐると自分は思つた。
「はい小供がありますので……」
あとは聞えなかつた。云へなくて云はなかつたからだ。
自分はもうそこに居なかつた。
腹の中で「大事になさい」と云ひ殘して
元來た通へ引返へした。
ふり返つた時、唖の小供がふりかへつて自分を見た。
眼はよく見えると見える。
太陽のやうに強い氣性で光つてゐた。
自分は目がくらんでしまつた。
どこを歩いたのか滅茶々々に歩き廻つて畠へ來た。
興奮も去つた。
そこは靜かだ。
夢がさめたやうに
自分は沈み込んで孤鼠々々家へ歸つた。
[#地から1字上げ](一九一八、三、三〇)

  若い母

若い娘がこの頃生れた許りの
赤ん坊を脊負つて
買ひ物に澤山出た女の中に交つて歩いて居る
彼女はこの新らしい經驗を恥かし相に顏に現はす程
喜んで居る
彼女の笑ひには得意と羞恥[#「羞恥」は底本では「差恥」]があらはれて居る
彼女は木綿の小さつぱりした娘々しい着物を着て
赤ん坊にも贅澤になら無い愛の籠つた新しい着物を着せて居る。
彼女の夫は役所にでも行つて居るのだらう
彼女はまるで喜びに壓倒されて歩いて居る
彼女の前に全世界はどんなに輝いて居るだらう
彼女の心はどんなに賑つて居るだらう
彼女は手柄をしたのだ。
涙ぐみたい程愛の激情に彼女は迫られて居るのだ、
見るものが何も彼も新しく見えるのだ、
見よ若き母が隱し得無い喜びに輝きつゝ
赤ん坊を脊負つて買物に歩むのを
その素直の姿の娘らしいつゝましさを
その質素な姿の美くしさを。

  雨上り

雨が降つた
がすぐ止んだ
晴れ上つた空には
濡れた雲が濛々と薄く濃く胞衣のやうに無樣に漂つて居る。
その上に今月が安々と生んだ許りの星が赤く輝いて居る
何も彼も水々しい
母なる月は少し※[#「宀/婁」、53−上−2]れて、然します/\美しく嬉し相に光つてゐる
下界では人は無言で、水たまりの出來た道を拾ひ歩いて居る。
何と云ふ靜かさだ。
天上の騷ぎも知ら無いですんだ樣に
然うしてすつかりと空はとり形づけられて夜は晴れ渡つてゆく
安産を祝ふやうに數多の星が盛裝して月の前に揃つて舞踏する。
父なる太陽がどこからか祝福の光りを一同に送つてゐる。

  鶴

動物園の鐵網の中で
ある限りの澤山の鶴が
急に一齊に啼き立てる
何か彼等の上を目に見えぬものが掠め去つたのか
鴉でもおどろかしたのか
救ひを求めるやうに
何か知らせる如く、
急に騷がしくなつて鶴が啼く
胸の底から出る樣な聲で、怺へ切れ無い聲で
鐵網の中をいそがしく不安相に歩き廻つて
天に訴へる樣
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