自分は見た
千家元麿

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)忠實《まめ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「女+(「第−竹」の「コ」に代えて「ノ」)、「姉」の正字」、22−中−9]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)カラ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

   此の初めての詩集を
    亡き父上に捧ぐ[#地から2字上げ]元麿

  自序

 この詩集は自分の初めての本だ。こゝに集めた詩は一九〇〇年の冬から今迄に書いたものを全部集めた。それ以前のものははぶいた。
 武者小路實篤兄から序文を、岸田劉生兄から裝幀を頂いた事を深く感謝する。自分はこの詩集に誇りをもつ事を禁じ得無いでゐる。自分はこの初めての詩集を亡き父上に捧げる。
 一九一八年三月二十六日夜
[#地から1字上げ]千家元麿

  車の音

夜中の二時頃から
巣鴨の大通りを田舍から百姓の車が
カラ/\カラ/\と小さな燥いた木の音を立て、無數に遣つて來る。
勢のいゝその音は絶える間もなく、賑やかに密集して來る。
人聲は一つも聞え無い。何千何萬と知れ無い車の輪の、
飾り氣の無い、元氣な單調な音許り
天から繰り出して來る。
遠く遠くから、カラ/\カラ/\調面白く、
よく廻りあとからあとから空に漲り、
地に觸れて跳ねかへり一杯にひろがつて來る。夥しい木の輪の音、
夜もすがら
眠れる人々の上に天使が舞ひ下りて、休みもせず
舞ひつ踊りつ煩さい位耳を離れず、幸福な歌をうたふやうに。

氣が附けばます/\音は元氣づき、密集團となり
朝の來るのに間に合はせる爲め
忙しなく天の戸を皆んな繰り出した音のやうに
喜びに滿ちた勇しい同じ小さな木の輪の音が
恐ろしいやうにやつて來る。
一つ一つ夥しい星の中から生れてぬけ出して來る。
もう餘程通り過ぎて仕舞つたやうに
初めから終りまで同じ音で此世へやつて來る。

曉方になるとその音は
天使の見離した夢のやうに消えて仕舞ふ。
天と地とのつなぎをへだてゝしまふ
何處かへ蜂が巣を替へて仕舞つた跡のやうに
一つも聞えなくなる。
鋭敏になつた頭には今度は地上のあらゆる音を聞く
馬鹿らしい夜烏の自動車の浮いた音や、
間の拔けた眠さうな不平をこぼす汽笛や、
だるさうな時計の響が味もなくあつち、こつちで
眞似をして仕損つたやうに、自信もなく離れ/″\に鳴る。

あゝ毎晩々々、雨の降る夜も星の降る夜も、自分の頭に響て來る
無數の百姓の車の音は自分に喜びを運んで來る
飾り氣の無い木の音のいつも變らない快さ
天から幸福を運んで繰り出して來る神來の無數の車を迎へる。
その一つ事に熱中した心の底から親切な、
喜びいそぐ無數の車の音、樂しい、賑やかな、勇しい音。

あゝ、汝の勝利だ
その一生懸命な小さいけれど氣の揃つた
豐かな百姓車の軍勢が堂々と繰り出して行つたら何でも負ける。
道を讓る
あゝ勇しい木の輪の音の行列よ
どん/\繰り出して來い。
天の一方から下りて來い
下界を目がけて、一直線に遠い/\ところから走つて來る星のやうに
都會を目がけてその一絲も亂さず、整然と
同じ法則、同じ姿勢で
立派に揃つた、木の音で
電車道を踏み鳴らして行け、躍つて行け

揃ひも揃つて選り拔きの、よく洗はれた手入の屆いた、簡單で、
調法な、木の車の自信のある安らかな音色よ
何ものも御前の音に敵ふ奴は無い。
憎々しい惰弱な病的な汽笛や不平な野心の逞しい機械の音より
どの位、
御前の勤勉な盡き無い木の音の方が俺は大好きだか知れないぞ、
前にゆくものゝ音を受けついで、後から來る者に傳へて、
赤兒のやうに生れて來る、
汝の盡きる事なく繰り出す音は
此世のものでは無い、天上のものだ
喜びだ、勝どきだ。

おゝ又氣がつけば賑やかな、いつも機嫌な木の輪の音の群
滿ち、溢れ、盡きずくり出して來て
ぴつたり跡を殘さず消えて行く自信のある歌ひぶりよ神來が來り、
大擾亂を呈して過ぎ去つたあとのやうに一つも殘さず、
漏れる事無く歌ひ終る。
無數の木の輪の音、
わが愛す、喜びの歌、
平易で味の無いやうで
無限な味の籠つた
天の變化にも追ひ付く、單調な喜びの歌、
天來の音、呱々の聲
簡單で完全な、よく洗はれた、手入のいゝ、親切な車の輪の音、
氣の揃つた賑やかなコーラス
毎晩來てくれ、
毎晩調子を揃へて繰り出して來て呉れ
巣鴨の大通りを田舍からつゞいて來る
無數の百姓車の木の輪の音、

俺は毎晩待つて居る。きつと氣がつく
御前の來るのを待つのは恐いけれど
來てしまへば俺は元氣づいて躍り出す、
氣がつけば引つきり無しに遣つて來る、神來の喜び!
木の音の行列、夥しい星の歌、一粒撰りの新しい音色!
天の戸をくる喜びの歌、朝の歌!
氣の揃つた一團の可愛ゆい、小さな百姓車の行進曲!
[#地から1字上げ](一〇、二五曉、愛の本所載)

  わが兒は歩む

吾が兒は歩む
大地の上に下ろされて
翅を切られた鳥のやうに
危く走り逃げて行く
道の向ふには
地球を包んだ空が蒼々として、
底知らず蒼々として日はその上に大波を蹴ちらして居る
風は地の底から涼しく吹いて來る
自分は兒供を追つてゆく。

道は上り下り、人は無關係に現はれ又消える
明るく、或は暗く
景色は變る。

わが兒は歩む
地の上に映つた小さな影に驚き
むやみに足を地から引離さうともち上げて
落て居るものを拾つたり、捨てたり
自分の眼から隱れてしまひたい樣に
幸福は足早に逃れて行かうとする
われを知らで、
どこまでも歩いて行く。その足の早さ、幸福の足の早さ、
道の端の蔭を撰んで下駄の齒入れ屋が荷を下ろして居る
わが兒はそこに立止る。
麥藁帽子のかげにゐる年寄りの顏を覗き込み、
腰をかゞめて、ものを問ふ
齒入れ屋は、大きな眼鏡をはづして見せ、
機嫌好く乞はれたまゝに鼓をたゝく。
暫らくそこでわが兒は遊ぶ。

わが兒は歩む
あちら、こちらに寄り道して、翅を切られた鳥のやうに
幸福の足の危ふさ
向ふから屑屋が來る。
いゝ御天氣で一杯屑の集つた大きな籠を脊負つて來る。
わが兒は遠くから待ち受けて居る。
屑屋はびつくりして立止る。
わが兒は晴々見上げて居る。
屑屋は笑つて、あとからついて行く自分に挨拶をする。
『可愛ゆい顏をしてゐる。』と、

郵便配達が自轉車で來る、『あぶない』と思ふ間に、
うまく調子をとつて小供の側を、燕のやうにすりぬけて行く
わが兒はびつくりして見送つて居る
郵便配達は勢ひよく體を左右に振つて見せ
わざと自轉車をよろつかせて
曉方の星のやうに消えてゆく

わが兒は歩む。
嬉々として、もう汗だらけになつて。
掴るまいと大急ぎ
大きな犬が來る。彼よりも脊が高い
然しわが兒は驚かない、恐がら無い
喜んで見て居る。
笑ひ聲を立てゝ犬のうしろについてゆく。

わが兒は歩む、
誰にでも親しく挨拶し、關係のある無しに拘らず
通る人には誰にでも笑顏を見せる。
不機嫌な顏をした女や男が通つて
彼の挨拶に氣がつかないと
彼は不審相に悲しい顏付をして見送る
がすぐ忘れてしまつて
嬉々として歩んでゆく。幸福の足の危さ。
幾度もつまづき、
ころんでも汚した手を氣にし乍らます/\元氣に一生懸命にしつかり
歩かうとする。

未だ小學校へ入らない
いたづら盛りの汚ない兒供が
メンコを打ち乍ら群れて來る。
忽ち彼はその中に取り圍れる。
皆んなから何か質問される
わが子は横肥りの小さな躯で眞中に一人立つて小さい手をひろげて
小供を見上げて何か告げて居る
小供等は好奇心と親切を露骨に示しメンコを彼に分けてくれる。
何にでも氣のつく小供等は彼の特色を發見して叫ぶ
『着物は綺麗だが頭でつかちだ。』

かくして尚も先へ先へと歩み行く
わが兒をとらへて抱き上ぐれば
汗だらけになり、上氣して
觀念した樣に青い眼をぢつと閉ぢて力がぬける
自分は驚いて幾度も名を呼びあわてゝ木蔭へつれこむ、そこにはひやひやと
火をさます風が吹いて來て、
彼は疲れ切つて眠り入る。
一生懸命に歩き
一生懸命に活動したので
自分の眼には涙が浮ぶ。
[#地から1字上げ](一〇、一一、愛の本所載)

  闇と光

暗夜の中に光りはめぐる
暖に、氣丈夫に
生命の火は勢よく燃える。
地を撲つ雨の烈しい時に、
火は衰へて沈み行き
火の壯なる時、雨は衰へ
烈しき雨とめぐる火と
明滅する刹那
闇の中に美くしく濡れて立つ何本の木を見る。
靜かな光りが梢に蛇のやうにまつはつて居る。
自分は雨戸を貫いて木と相面したやうに感じる。
光りの座の上に相抱いたやうに感じる。
あゝ氣がつけば相撲ち、明滅する
闇と光りの美くしさ
雨よ降れ、火よ燃えよ
光りを生む爲め永劫に衰へるな。

  朝

朝、
清淨な火の風はよろづのものゝ上に吹き渡り
人も木も鳥も凡てのものが皆默つて戰きを感じる
非常な靜かさが空の頂天から地の底まで感じられる
棒のやうに横ふ雲も隅の方にかたづけられて
空にはあちらこちらで
白熱した星がくるくると廻轉し乍ら
すばらしい速力でかけて行く
然うして
消えるものは消えて行き
天の一方がにはかに爆發して
血管が破れたやうに空に光りが潮して來る。
自ら歡喜が人の身に生じる。
にはかに一齊のものに暖い活氣が生じて來る
かゝる時初めて見上げた空の感じは忘られない
人は空の頂天から地の底まで。
火の通じてゐるのを感じる。

  夜

鐘が鳴る。
一日の終りの
街のどよめきの上に
今太陽は朝よりも大きく輝いて
家々から町から、人間から遠ざかる。
然うして人々は
その工場から、役所から一日の仕事から
開放されて
わが家に歸つて來る喜びと
一日の終りの疲れと悲しみが町の上に交り合ふ。

赤ん坊を抱いて夫を迎へに行く妻が幾組も通る
酒を買ひに行く女が通る。ざるや皿を持つた女が通る
魚屋の前にはそれぞれ特色のある異樣な一杯な人がたかり
ごたかへす道の上には初冬の青い靄が立ち
用のすんだ大きな荷馬車が忙しなくゴロゴロ通り
晝間の暖さを一杯身の内に吸ひ込んだ小供等の
興奮して燥ぎ廻る金切聲が
透明な月の薄く現はれた空に
一つづゝ浮んでは、胸に殘つて一つも聞えなくなる苦るしさ。

一つづゝ星はあらはれ、下界目がけて搖れ來り
だん/\人の顏が見えなくなるに連れて
月は光を加へ、高くなり
人の姿は異形となり、燈の數は赤ん坊のやうに殖え
あちら、こちらで空氣を轟かして
いそがし相に戸を閉ざす音が
天の扉が閉ぢられる樣に鳴り渡り
歸り遲れた人々は興奮してせつかちに
たち籠めた闇の中を
大きな音を立てゝ飛ぶ樣に通つて行く。

もう町には小供等は馳け廻ら無い。
ところどころに路上には薄茫んやりと
今夜の宿を求める勞働者が佇んで居て
最うぢき冬が來るけはひが
天にも地にも星の息にも人の上にも感じられる。
然し或る横丁の、湯屋の煙突からは
時を得顏に惡どい元氣づいた煙が寒い空氣にふれて息のやうに立ち騰り
賑やかな人聲、赤ん坊の泣きわめく聲が湧き起りうす汚ない朧ななりをしたそこら界隈の
男や女が小供を肩車に乘せたり
三人も五人も一人でゾロ/\引張つたり
火事で燒き出された人のやうに
小供の着替やむつきを兩の小脇に一杯抱へて
恐ろしい路次の闇から異形な風で現はれ
赤い燈火が滲みもう/\と暖い煙の蒸しこめた
錢湯へ吸ひこまれて行く。

然うして月は暗さうに切口を輝かし
星は下界に近づいて、揃ひも揃つて大粒な奴が、
すぐ屋根の上に異形に輝いて
好奇心で下界を覗き込み
人間の頭の中は何かかぶさつて來て、眼の見えぬ樣に暗くなり
心のしん許りが猫の眼のやうに光り出し、小さな焔を燃やし、
夜は更けて行き
凡てのものを美くしく、もろく、果敢なく、貴い、
整然とした他界のものゝやうに並べて見せ
夜の祕密は大きな重々しい混沌とした土塊の中に一杯附着したダイヤモンドのやうに
暗きを好んで異樣に輝き
燈の中に浮んで來る人の顏
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