或る夕暮

夕暮、自分は本郷通りを歩いてゆく
無關心になつた自分の心は至る所に美を見る。至る所から美が響く
粗惡な電車も灯をつけて走つて行くのが
死んで居るものが生きかへつたやうに
思はぬ美を自分に見せる。
力が罩つて變化して見える。
こまやかに降りた靄の中に
向ふ側はすでにうす暗く
仕事がへりの大工がうしろ姿を見せて一團になつて
いそいで歸つて行く。
その中には師匠もある。兄貴も小僧もある。
彼等は自由になつた喜びに輕るさをもつて歩む。
横丁からは提灯をつけ無い俥が澤山出て來て左右に分れて行き
矢張り提燈をつけ無い自轉車が
あつちにもこつちにも破れた翅の鳥のやうに
一直線に飛んで行く
ふと見た自轉車にのつかつた若者の顏は
暮れ殘る反射の中に
いゝ心持に青白い顏を浮べて現はれて消え
往來は地球一面のやうに廣くなり
用のすんだ空になつた荷馬車が音も無く通る。
馬の先導に立つて歩く馬子は
暗くてよく見え無い靄の中でもう大分飮んで居る
わけの分ら無い獨言を云つて居る
哀れな馬は足元の危い主を心配するやうに
時々立ち止らされては首を垂れてついて行く
そのあとから馬の體に縛りつけられた車が安
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