、それらの仮名の現代の発音と同じく、それぞれk t n m y r wのような子音で初まる音であったろうと思われる。ただし、タ行の仮名の中、「ち」「つ」にあたるものは、現代の東京・京都等の発音とは異なり、「ち」は現代のようなチ(chi、chはチャチョなどの子音で、分解すれば、タの最初の子音tとシの最初の子音shとの合したもの。音声記号では〔t※[#「※」は発音記号。「s」を縦に長くした形のもの、141−3]〕)ではなくして、ti(英語・独逸《ドイツ》語などの発音。仮名ではティ)であり、また「つ」は現代語のようなツ(tsu、tsはタ行の子音tと、サソなどの子音sとの合したもの)でなくしてtu(独逸語などの発音。仮名ではトゥ)であったと考えられる。またヤ行には、前に述べた「延」の音(ye)が加わり、ワ行には、現代語にない「ゐ」「ゑ」「を」にあたる音(<wi><we><wo>)があったのである。
サ行の仮名にあたる音の子音は、決定に困難である。現代語においてはサスセソの子音はsであり、シだけはsh(シャシュ等の子音と同じもの。音声記号では〔※[#「※」は発音記号。「s」を縦に長くした形のもの、141−9]〕であるが、方言にはセをすべてsheと発音するものもある。この音を写した種々の万葉仮名の支那古代音もtsで初まるものや、chで初まるものや、sで初まるもの、shで初まるものなどあって、一定しない。それ故、或る人はtsであったとし、或る人はchであったとし、またs或るはshであったと説くものもある。極めて古くは最初にt音があったかとおもわれるが、奈良朝時代にもそうであったかどうか、決定しがたい。或るはshで初まる音であったかも知れない。
ハ行の子音は、現代ではhであるが、方言によってはFであって「は」「ひ」「へ」をファフィフェと発音するところがある。更に西南諸島の方言では、p音になっているところがある(「花」をパナ、舟をプニなど)。ハ行の仮名にあたる音を写した万葉仮名の古代漢字音を見るに、皆<p><ph><f>などで初まる音であって、h音で初まるものはない故、古代においては今日の発音とは異なり、今日の方言に見るようなpまたはFの音であったと考えられる。音変化として見れば、pからFに変ずるのが普通であって、その逆は考え難いから、ハ行の子音はp→Fと変化したものと思われるが、奈良朝においては、どうであったかというに、平安朝から室町時代までは、Fであったと認むべき根拠があるから、その直前の奈良朝においても多分F音であったろうと思われる。すなわちファフィフゥフェフォなど発音したであろう。そうしてハ行の仮名は、後世では、語の中間および末尾にあるものは「はひふへほ」をワイウエオと発音するが(「いは[#「は」に傍線]」「いへ[#「へ」に傍線]」「かほ[#「ほ」に傍線]」など)、奈良朝においては語のいかなる位置にあっても、同様に発音したものである。
次に濁音の仮名に相当する諸音については、ガ行の仮名にあたる諸音の子音は多分現代の東京・京都等の「がん」「ぎん」「ごく」「げんき」「ぐん」などの「が」「ぎ」「ぐ」「げ」「ご」の子音と同じg音(音声記号では〔g〕)であったろうとおもわれる。現代の東京京都などの「ながさき(長崎)」「くぎ(釘)」「かご(寵)」「すげ(菅)」などの「が」「ぎ」「ぐ」「げ」「ご」の発音に見られるガ行子音ng(音声記号では〔※[#「※」は発音記号。「n」の右足を下に伸ばして左に丸めた形のもの、143−2]〕)は、当時はなかったのではあるまいかと思われる。
ザ行の仮名にあたる諸音の子音は、サ行にあたる諸音と同じ子音の有声音であろうが、当時の発音は、その清音と同様に未だ決定し難い。ずっと古くは最初にd音を帯びていたかとおもわれるが、奈良朝にはあるいはshの有声音j(音声記号では〔※[#「※」は発音記号。「ろ」に似た形のもの、143−5]〕)であったかも知れない。
ダ行の仮名にあたる諸音は、現今のダの子音と同じdであった。ただし「ぢ」「づ」は、現今の発音とは異なり、「ぢ」はdi(英語独逸語の発音。仮名はディ)、「づ」はdu(独逸語の発音。仮名はドゥ)であったと認められる。
バ行の仮名にあたる諸音の子音は、現代と同じくbであった。
次に、子音の次に母音がついて成立つ諸音における母音について見るに、奈良朝時代の諸音のうち、その一音が後世の一つの仮名にあたるものにおいては、ア段の仮名に相当する諸音は、現代の仮名の発音と同じくaの母音で終り、イ段ウ段エ段オ段の仮名にあたる諸音も同様にそれぞれ<i><u><e><o>の母音で終ったものと考えられる。次に当時の二つの音が、後世の仮名の一つに相当するものの中、「え」にあたる「愛」の音と「延」の音とが、それぞれeとyeであって、ア行のエとヤ行のエとの別に当るものであることは既に述べた通りである。さすればこの二音の別は、五十音では行の違いに当るのである。しかるにその他のものにおいては、必ずしもそうでない。この種に属するものは、これにあたる仮名を五十音図に宛てて見ると左の通り、イエオの三段にかぎられて、ア段とウ段とにはないのである。
き ぎ ひ び み (イ段)
け げ へ べ め (エ段)
こ ご そ ぞ と ど の よ ろ (オ段)
これらの仮名が、それぞれ奈良朝の二つの違った音に相当するのであるが、その二つの音に宛てた万葉仮名の漢字音を支那の唐末または五代の頃に出来た音韻表である『韻鏡《いんきょう》』によって調査すると、この二つの音の違いは、支那字音においては、転の違いか、さもなければ等位の違いに相当する。転および等位の違いは最初の子音の相違ではなく、最後の母音(またはその後に子音の附いたもの)の相違か、または、初の子音と後の母音との間に入った母音の相違に帰するのである(例えば<ko><po>の類と<ko[#「o」はウムラウト]><po[#「o」はウムラウト]>の類との差、または<kia><pia>と<ka><pa>との差など)。奈良朝の国語における二つの音の相違を、漢字音における右のような相違によって写したとすれば、当時の国語における二音の別は、最初の子音の相違すなわち五十音ならば行の相違に相当するものでなく、母音の相違すなわち五十音の段の相違か、さもなければ、直音《ちょくおん》と拗音《ようおん》との相違に相当するものと考えられる。それでは実際どんな音であったかというに、諸説があって一定しないが、しかし、一つの仮名に相当する二音の中、一つだけはその仮名の現代の発音と同じもので、すなわち、イ段の仮名ならばiで終り、エ段ならばe、オ段ならばoで終る音であることは一致している。他の一つについては右の<−i><−e><−o>に近い音であることは一致しているが、あるいはこれに近い開音(それよりも口の開きを大きくして発する音)<−I><−※[#「※」は発音記号で、「3」を左右反転した形、145−7]><−※[#「※」は発音記号で、「c」を左右反転した形、145−7]>であるとし(吉武氏)、あるいはこれに近い中舌母音(舌の中ほどを高くして発する音)<i[#「i」はウムラウト]><e[#「e」はウムラウト]><o[#「o」はウムラウト]>であるとし(金田一氏)、あるいは、母音の前にwの加わったワ行拗音<−wi><−we><−wo>であるとし、あるいは、イ段エ段では母音の前にy(音声記号〔j〕)の加わったヤ行拗音<−yi><−ye>であるとし、オ段では中舌母音<−o[#「o」はウムラウト]>であるとする説(有坂氏)などある。私もイ段は−iに対して−ii[#最初の「i」はウムラウト](i[#「i」はウムラウト]は中舌母音)、エ段は−eに対して−※[#「※」は発音記号で「e」を180度回転させた形、145−11]iまたは−※[#「※」は発音記号で「e」を180度回転させた形にアクサン、145−11]e(※[#「※」は発音記号で「e」を180度回転させた形にアクサン、145−11]は英語にあるような中舌母音)、オ段は−oに対して中舌母音o[#「o」はウムラウト]であろうかという仮定説を立てたが、まだ確定した説ではない。
以上述べた所によれば、奈良朝における諸音の発音は、これに相当する仮名の現代における発音に一致するものが甚だ多いのであって、これと異なるものは「ち」「つ」「ぢ」「づ」およびハ行の仮名に相当するものであり、サ行およびザ行の仮名にあたるものも、或るは現代の発音と違っていたかも知れない。当時の音で、現代普通に用いられないものはヤ行のエにあたるye、ワ行の「ゐ」「ゑ」「を」にあたる<wi><we><wo>であり、「ぢ」「づ」と「じ」「ず」とは、現代語では普通発音の区別がないが、奈良朝には、おのおの別々の音であった。「き」「け」「こ」「そ」「と」「の」「ひ」「へ」「み」「め」「よ」「ろ」および「ぎ」「げ」「ご」「ぞ」「ど」「び」「べ」の十九の仮名の一つ一つにあたるそれぞれ二つの音は、一つは現代語におけると同じ音またはこれに近い音であるが(ただし「ひ」「へ」の子音は現代語と違い、「そ」「ぞ」の子音も現代語とちがっていたかも知れない)、他の一つは、これに近いがそれとは違った(現代の標準語には普通に用いられない)音であった。
以上のように奈良朝においては、現代よりは音の種類が多かったのであるが、しかし、それはいずれも短音に属するもので、「ソー」「モー」のような長音に属するものはない。またキャシュキョのような拗音に属するものは多少あったかも知れないが、その数も少なく、また性質も違っていたかも知れない。「ン」のような音や、促音にあたるものもない。またパ行音もなく、カ°[#「カ」の半濁音]行音(ngで初まる音)も多分なかったであろう。ただし、以上述べたのは、当時、おのおの別々の音として意識せられ、文字の上に書きわけられているものの正式な発音であって、実際の言語においてはそれ以外の音が絶対に用いられなかったのではない。現に、「蚊」のごとき一音の語が、今日の近畿地方の方言におけるごとく「カア」と長音に発音せられたことは奈良朝の文献に証拠がある。けれども、正常な言語の音としては、以上のごときものであったろうと思われる。
二 第一期における音韻の変遷
奈良朝における音韻が以上のごとく八十七あったということは、奈良朝における文献の万葉仮名の用法から帰納したのであるが、奈良朝の文献でも、『古事記』だけにおいては、「も」の仮名にあたる万葉仮名に「母」と「毛」との二つがあり、それを用いる語にはそれぞれきまりがあって決して混同しない(「本」「者」「伴《トモ》」「思ひ」などの「も」には「母」を用い、「百《モモ》」「妹《イモ》」「鴨《カモ》」「下《シモ》」などの「も」には「毛」を用いる)。すなわち、『古事記』においては更に一つだけ多くの音を区別したのであって、すべて八十八音を区別した(「母」と「毛」との別は、「と」「そ」等オ段の仮名における二音の別と一致するものであろう)。『古事記』は、奈良朝の撰ではあるが、天武天皇の勅語を稗田阿礼《ひえだのあれ》が誦したものを太安万侶《おおのやすまろ》が筆録したもので、その言語は幾分古い時代のものであろうから、これに八十八音を区別したのは、奈良朝以前の音韻状態を伝えるもので、後にその中の一音が他と同音に変じて奈良朝では八十七音となったものと考えられる。そうして奈良朝でも末期になると、「と」「の」などの仮名にあたる二音の別が次第に失われたと見えて、これに宛てた万葉仮名の混用が多くなっていることは既に説いた通りである。この傾向を逆に見れば、もっと古い時代に溯《さかのぼ》れば、更に多くの音があったのが、時代の下ると共に他の音と同音になって遂に奈良朝におけるごとき八十七音になったのではあるまいかと思われる。奈良朝以前の万葉仮名の資料は甚だ少ない
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