国語音韻の変遷
橋本進吉

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)金石文《きんせきぶん》

<>:ローマ字で表された単音が複数並んでいる場合、区切り
   を表わすために使用する。
  (底本は縦書きのためこのような区切りを設けていない)
(例)<k><a><s>

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍線の位置等の指定等
    また、外字などの場合は底本の頁と行も記す。
(例) ※[#「※」は「低」の右側、132−9]
    たかむら[#「か」に傍線]
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     一 音韻組織と連音上の法則

 言語は、すべて一定の音《おん》に一定の意味が結合して成立つものであって、音が言語の外形をなし、意味がその内容を成しているのである。かような言語の外形を成す音は、どんなになっているかを考えて見るに、箇々の単語のような、意味を有する言語単位は、その音の形は種々様々であって、これによって、一つ一つ違った意味を有する種々の単語を区別して示しているのであるが、その音の姿を、それ自身として観察してみると、一定の音の単位から成立っているのであって、かような音の単位が、或る場合にはただ一つで、或る場合にはいくつか組合わされて、意味を有する箇々の言語単位の種々様々な外形を形づくっているのである。かような言語の外形を形づくる基本となる音の単位は、国語においては、例えば現代語の「あたま(頭)」はア・タ・マの三つ、「かぜ(風)」はカ・ゼの二つ、「すこし(少)」はス・コ・シの三つ、「ろ(櫓)」や「を(尾)」はそれぞれロ又はオの一つから成立っている。
 かように、言語を形づくる基本たる一つ一つの音の単位は、単語のように無数にあるものではなく、或る一定の時代または時期における或る言語(例えば現代の東京語とか、平安朝盛時の京都語など)においては或る限られた数しかないのである。すなわち、その言語を用いる人々は、或る一定数の音単位を、それぞれ互いに違った音として言いわけ聞きわけるのであって、言語を口に発する時には、それらの中のどれかを発音するのであり、耳に響いて来た音を言語として聞く時には、それらのうちのどれかに相当するものとして聞くのである。もっとも、感動詞や擬声語の場合には、時として右の一定数以外の音を用いることがあるが、これは、特殊の場合の例外であって、普通の場合は、一定数の音単位以外は言語の音としては用いることなく、外国語を取入れる場合でも、自国語にないものは自国語にあるものに換えてしまうのが常である(英語のstickをステッキとしたなど)。
 かように或る言語を形づくる音単位は、それぞれ一をもって他に代え難い独自の用い場所を有する一定数のものに限られ、しかも、これらは互いにしっかりと組合って一つの組織体または体系をなし、それ以外のものを排除しているのである。
 以上のような音単位は、一つ一つにはもはや意味を伴わない、純然たる音としての単位であるが、実は音単位としてはまだ究極に達したものでなく、その多くは更に小さな単位から成立つものである。例えばカはkとaとに、サはsとaとに、ツはtとsとuとに分解せられるのであって、これらの小さな単位が一定の順に並んで、それが一つに結合して出来たものである、このことは、これらの音を耳に聞いた上からも、また、これらの音を発する時の発音器官の運動の上からも認められることであって、これらの音の性質を明らかにするには是非知らなければならないことであるが、しかし、かようなことを明らかに意識しているのは専門学者だけであって、その言語を用いている一般の人々は、カ・サ・ツなどをおのおの一つのものと考え、それが更に小さな単位から成立つことは考えていないのである。例えば、ナはnとaから成立ち、そのnは「アンナ」(anna)といふ語のンと同じ音であるにもかかわらず、人々は、ナとンとは全く別の音と考えている。それ故、<k><a><s>などは音の単位としては究極的な最も基本的なものであるけれども少くとも我が国語においては、これらの単位から成立ったア・タ・マなどの類を言語の外形を形づくる基本的の音単位と認めてよいと思う。(我が国において、古くからかような音単位を意識していたことは、歌の形がかような単位の一定数から成立つ句を基本としていること、ならびに、仮名が、その一つ一つを写すようになっているによっても知られる。)西洋の言語学では<k><a><s>のような最小の音単位を基本的なものと認めてこれを音または音韻と名づけ、カ・サのようなそれから成立つ音単位を音節と名づけるが、右の理由によって、我が国では、むしろ音節を基本的なものとしてこれを音または音韻と名づけ、これを組立てる小なる音単位は単音と名づけてこれと区別すればよかろうと思う。
 そうして、或る言語を形づくる音単位は或る一定数にかぎられ、その全体が組織をなすということは、既に述べたが、それは、実は音節についてであったが、音節を形づくる単音について見てもまた同様である故、音節を基本的のものと認める場合にも、単音を基本的のものと認める場合にも、同様に、或る言語を形づくる音単位全体を音韻組織または音韻体系となづけてよいのである。
 さて右に述べたような音韻組織は、国語の違いによって違っているばかりでなく、同じ国語に属する種々の言語、例えば各地の方言の間にも相違があるのであって、それらの言語を形づくる箇々の音韻の数も必ずしも同じでなく、一つ一つの音韻も必ずしも一致しない。例えば、東京語はシとスとの二つの音を区別するのに、東北方言では、これを同じ一つの音とし、その発音は東京のシにもスにも同じくない一種の特別の音である。また東京語のカに当るのは、九州方言ではカとクヮとの二つの音韻であって、クヮの音は東京語には存在しない。
 音韻組織は同じ言語においても時代によって変化する。前の時代において二つの違った音であったものが音変化の結果後の時代に至って一つの音となることがあり(イとヰは古くは別の音であったのが、後には共にイの音となって区別が失われた)、前代に一つの音であったものが後代には二つの別の音にわかれることもある(「うし」の「う」と「うま」の「う」とは古くは同じウの音であったが、「うま」の場合は後には「ンマ」の音に変じて、ウとンと二つの音になった)。また、或る音韻が後代においては全くかわった音になるものもある(「ち」は古くはtiの音であったが、後には現代のごときチの音になった)。かように箇々の音の変化によって、あるいは数を増しあるいは数を減じ、あるいは一の音が他の音になって、前代とはちがった音韻組織が生ずるのである。
 既述のごとく、箇々の語のような、意味を有する言語単位の外形は、以上のような音または音韻の一つで成立つかまたは二つ以上結合して成立つものであるが、その場合に、或る音は語頭、すなわち語の最初にしか用いられないとか、または語尾、すなわち語の最後にしか用いられないとかいうようなきまりがあることがある。これを語頭音または語尾音の法則という。また、或る音と或る音とは結合しないというようなきまりがあることがある。これを音結合の法則という。また語と語とが結合して複合語を作りまたは連語を作る時、その語の音がもとのままでなく、多少規則的に転化することがある。これを複合語または連語における音転化の法則という。
 以上のようなきまりはすべて連音上の法則というべきであるが、これは、言語の違うに随って異なると共に、同じ言語にあっても、時代または時期の違うに従って変遷するものである。国語の音韻の変遷を考えるには、単に一々の音の時代的変化ばかりでなく、かような諸法則の変遷をも考えなければならない。
 以下、国語音韻の変遷の大要を述べるに当って、時代を三期にわける。奈良朝以前を第一期とし、平安朝から室町時代までを第二期とし、江戸時代から現代までを第三期とする。かように三期にわけたのは、各期の下限をなす三つの時代、すなわち奈良朝と室町末期と現代とが、他の時代との関係なくしてそれだけで比較的明らかにその音韻組織を知ることが出来る時代であって、これを互いに比較すれば、その間に生じた音韻変化の大綱を推知し得られ、しかもこれに続く時代との間にはかなり音韻状態の相違が認められるので、ここで時期を劃する[#「劃」は底本のまま。「画」の旧字体。128−12]のを便宜と考えたからである。もとよりこれは便宜から出たものである。今後、各時代各時期の音韻状態がもっと明確に、もっと詳細に知られる時が来たならば、もっと多くの時代に分けることが出来るであろう。

     二 第一期の音韻

 第一期は奈良朝を下限とする各時代である。当時は文字としては漢字のみが用いられたので、当時の音韻の状態を知るべき根本資料としては、漢字をもって日本語の音を写したものだけである。そうしてかような資料は、西紀三世紀の頃の『魏書《ぎしょ》』をはじめとして、支那歴代の史書や、日本の上代の金石文《きんせきぶん》などの中にもあるけれども、それらはいずれも分量が少なく或る一時代の音韻全般にわたってこれを知ることは出来ない。奈良朝にいたって、はじめてかような資料が比較的豊富に得られるのであるから、第一期の音韻を研究しようとするには、どうしても先ず奈良朝のものについてその時代の音韻組織を明らかにし、これを基礎として、それ以前の時代に溯るのほかないのである。
 一 奈良朝の音韻組織
 奈良朝時代の文献の中に、国語の音を漢字(万葉仮名)で写したものを見るに、同じ語はいつも同じ文字で書いているのではなく、種々の違った文字をもって写している。例えば、「妹《いも》」という語は「伊毛」とも「伊母」とも「以母」「移母」「異母」「伊慕」「伊茂」「伊暮」とも書いている。同じ語の音の形はいつも同じであったと思われるから(もっとも、活用する語にはいくつかの違った形があるが、それでも、その一つ一つの活用形は、いつも同じ形である)、これを写した万葉仮名は、いろいろ文字が違っていても、皆同じ音を表わすものと認められる。すなわち、当時は、その音(読み方)が同じであれば、どんな文字をもって国語の音を写してもよかったのである。そうして、右の「妹」という語は、二つの文字で書いてあるのを見れば、その音の形は二つの部分から成立っているのであって、その初の部分は「伊」「以」「移」「異」のような種々の文字で書かれ、後の部分は「母」「毛」「慕」「茂」「暮」のような文字で書かれているから、「伊」「以」「移」「異」は皆同じ音を表わす同類の仮名であり、「母」「毛」「慕」「茂」「暮」も、また同じ音を表わす同類の仮名であって、しかも「伊」の類と「母」の類とは、その間に共通の文字が全くない故、それぞれ違った音を表わしたものと認められる。
 かような調査を、あらゆる語について行うと、当時用いられた万葉仮名のどの文字はどの文字と同音であるかが見出され、一切の万葉仮名をそれぞれ同音を表わすいくつかの類にわけることが出来るようになる。かような万葉仮名の類別こそ、当時の音韻の状態を知るべき基礎となるものであって、その類の一つ一つは、それぞれ当時の人々が互いに違った音として言いわけ聞きわけた一つ一つの音を代表し、その総体が当時の国語の音韻組織を示すものとなるのである。
 さて、かようにして得られた各類の万葉仮名を後世の仮名と対照するとどうなるかというに、前に挙げた「妹」の語は、後世には「いも」と二つの文字で書かれるが、奈良朝においても「伊毛」「伊母」「以母」その他、二字で書かれているのであって、最初の「伊」「以」等の文字は仮名「い」にあたり、次の「毛」「母」等の文字は仮名「も」にあたる。その他の諸語においても同様である。それ故、奈良朝において同音を表わした「伊」「以」「移」等の一類は後世の仮名「い」に相当し、「毛」「母」「慕」等の一類は後世の「も」に相当するのである。もっとも、これは、書かれた文字の上での対応
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