大体の性質が解ったものですから、言語学会とか、国学院大学の国語学会で紹介したこともありますが、『帝国文学』に始めて「国語仮名遣研究史上の一発見」という題で大正六年の十一月号に書いたのであります。それにはこの『奥山路』の研究が非常に珍しいものであり。非常に価値のあるものであること、仮名遣の研究の歴史から見てどんな位置を占め、どんな意味をもつものであるかということについて述べました。しかしこれは大正六年のことで、当時国語国文学の研究ということは非常に衰えておった時分でありまして、別に注目する人もなかったと思います。その後、大正の末から今日までの間に国文学が非常に盛んになりまして、国語学の研究も追々進み、殊にかような古代の仮名遣のことは『万葉集』など古典の訓読や解釈というようなことにも非常に関係があることからして、次第に注意を惹《ひ》くことになり、若い人たちも段々研究するようになりまして、今日においてはこういう方面に関する論文が大分色々出ております。
次に、私が心附きました、龍麿の研究の間違っている点だけを申しておきたいと思います。それだけ訂正すれば、龍麿の研究は今日においても大体役に立つ
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