二つに分けるべきものを一つにしたために、例外としなければならなかったものもあります。例えば、カ行四段動詞の已然形と命令形は、仮名で書けば両方とも同じ「け」でありますけれども、昔の万葉仮名では、別の類の文字で書いてあって、区別すべきでありますのに、龍麿はこの二つの形を同じと考えたものでありますから、多少例外が出来て、二つの類の仮名が混じて用いられているように見えたものもあります。その他『万葉集』の通行本の訓が正しくないため、あるいは解釈が間違っていたために仮名の用法が乱れているように見えたものも沢山あるのであります。殊に『万葉集』巻十四の東歌《あずまうた》および巻二十の防人《さきもり》の歌において例外が取分け多いのでありますが、私の見る所では、これは東国の言語で、大和その他中央部とは違った田舍の言語であるがためにそういう例外が多いのであるという風に考えられるのであります。かように、特に違った地方の言語を用いたものは、全体として除外すべきものと思います。そういう風にして見て行くと、瘧Oすなわち右に述べたような仮名の区別を乱した例は非常に少なくなるのであります。絶対に一つも例外がないという訳には行かないのでありますけれども、龍麿の挙げたよりも非常に少なくなるのであります。そうして見れば、ともかく龍麿の結論は多少の訂正を加えれば、ほぼ確実であるということが出来るのでありまして、これまで誰もやらなかった、あらゆる仮名にわたって、どういう仮名とどういう仮名は同じように用いる、どういう仮名とどういう仮名は同じ場合には用いないというような、一々の仮名の用法の調査を行って、今のような結果を得たということは、非常な功績であると言わなければならぬのであります。
さて龍麿の挙げました、十三の仮名がおのおの二類に分れているものの中、「エ」に当る仮名が二類に分れていることでありますが、これは前に述べましたア行の「エ」と、ヤ行の「エ」の区別そのものであります。奧村栄実《おくむらてるざね》が研究しました、ア行の「エ」とヤ行の「エ」の区別に当るのであります。龍麿はこのエにあたる二類を、ア行の「エ」とヤ行の「エ」とであるということは言っておりませぬけれども、実例の上からして、エが二類に分れて用法上区別があるということを見出しているのであります。そうして年代から言いますと、『古言衣延弁《こげんええべん》』よりは龍麿の方が先であります。私は話の順序として『古言衣延弁』のことを前に述べましたが、実はあの方が少し後なので、発表された年月からいうとおよそ三十年も龍麿の方が前であります。得た結果から見れば『衣延弁』の方が一層進歩しておりますけれども、事実を明らかにした点においては、龍麿が既に先鞭を着けているわけであります。
さて、今の普通の仮名で書き分けることの出来ない十三の仮名がおのおの二類に分れているということは、奈良朝のものについて見ますと、前に述べたように多少例外があるのであります。その中で「ケ」の仮名については、私のこれまで見た奈良朝時代のすべての文献の中で、疑わしい例はただ二つだけしかないのであります。それは「介《ケ》」という字で書いてあるもので、「け」に当る万葉仮名は「計《ケ》」の類と「気《ケ》」の類と二つにわかれているのでありますが、『万葉集』の中に「介」という字が四回使ってあり、そのうち二回は「計《ケ》」類の仮名を用いるべき処に、二回は「気《ケ》」類の仮名を用いるべき処に用いてあるのであります。それ故「介」はどちらの類に属するかきめることが出来ないので、どちらに属するとしても二つずつの例外が出来るのであります。かように、ケの仮名は例外は少ないのでありますが、そのほかの仮名におきましては、もう少し例外が多いのであります。しかしこれらの仮名が古代の文献に用いられた例は、よほどの数でありまして、殊に「キ」の仮名などは非常に沢山用いられているのでありまして、まだ正確な数は算えませぬけれども、恐らく千以上使われていると思いますが、その中で例外が十まではないのであります。それ位の例外でありますからして、これらの例外があるということは、二類の区別があるということを否定するものではなく、全体としてやはり区別がある、ただどうかして多少|紛《まぎ》れたものがあるというだけのことであろうと思います。その紛れたのは、今我々の見ることの出来る古典においてそうでありましても、あるいはそれは古く起った写し違いというようなものであるかも知れませぬ。これをどういう風に解釈すべきかについては、色々の考え方がありましょうけれども、ともかくも今の所では絶対に例外がないということは出来ない。僅かばかりは例外があるのであります。殊にそれが仮名によって多少程度の差があるのでありまして、オ段の仮名の
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