古代国語の音韻に就いて
橋本進吉

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)漢口《ハンカオ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)平安朝|半《なかば》以前

<>:ローマ字で表された音が複数並んでいる場合、区切りを
   表わすために使用する。
  (底本は縦書きのためこのような区切りを設けていない)
(例)<ti><tu>

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍線の位置等の指定等
    また、外字などの場合は底本の頁と行も記す。
(例) ※[#「※」は「めへん(目)+免」、119−6]
    ゐる[※「ゐ」に傍線]
−−

     一

 我が国の古典を読むについて何かその基礎になるようなことについて話してもらいたいという御依頼でございました。それで、我が国の古代の音韻についてお話申上げたいと思います。もっともこれについては、私の研究もまだ最後の処まで行き着いていないのでございまして、自分でも甚だ不満足ではございますが、しかしこれまで私が調べました範囲内でも、古典をお読みになるような場合に多少参考になるようなことは申上げることが出来ようかと思います。
 古代の音韻と題しておきましたが、現今の言語研究の上に「音韻」と「音声」とを区別して使うことがございますけれども、先ずこのお話では、格別そういう厳密な区別を設けないで、ただ音韻と言っておいたので、つまり言語の音《おん》のことでございます。
 言語の音は、現在の言語であれば直接我々が耳に聴いて判るものでありますが、昔の言語になりますと、昔の人が話していたのを我々は直接に耳に聴くことは出来ませぬ。今の言語であれば、直接耳に聞える音を対象として研究することが出来ますが、昔の言語でありますと、自然、言語の音を文字で写したもの、すなわち音を代表する文字に基づいて研究するより仕方がない訳であります。
 全体この言語の音を研究するについて先ず第一に大切なことは、どれだけの違った音でその言語が組立てられているかということ、つまりその言語にはどれだけの違った音を用いるかということであります。我々が口で発することの出来る音は実に無数であります。随分色々の音を発することが出来る訳でありますが、言語としては、その中の幾つかの或るきまった音だけを用いその他のものは用いないというようにきまっているのであります。これは我々が外国語を学修する場合によく解るのでありますが、例えば外国語では<ti><tu>という音は何でもなく幾らでも用います。こういう音は外国語では普通の音ですが、日本語では用いないのであります。そういう風に言語の違うによって或る音は或る国で使うけれども或る国の言語では使わないという風の違いがあるのであります。これは単に、相異なる言語、日本語と英語というような全く違った言語の間にそういう違いがあるばかりでなく、同じ言語においてもやはり時代によって違いがある。すなわち古い時代の言語と新しい時代の言語の間には、昔用いておった音が後になると用いられなくなり、また昔用いられなかった音が後になると用いられるようになるというように、色々変って来るのであります。
 そういう違った音が幾つあるか、言いかえれば幾つの違った音を用いるかということが、或る一つの言語を研究する場合に一番大切な事柄であります。一般に、或る時代の言語に用いられる違った音の数はちゃんと定《き》まっているのであります。ごく粗雑な考え方でありますが、日本語を書くのに仮名四十七字、それに「ん」が加わって四十八字、それだけでもともかく日本語のあらゆる音を書くことが出来る訳で、その仮名の数というものは定まっている。もし日本語に無数の違った音があるならば、きまった数の仮名で書けるはずはないのであります。勿論《もちろん》これは、仮名が四十八字あるのでそれで違った音は四十八しかない、という訳ではありません。例えば「キ」と「ヤ」とはそれぞれ違った音ですが「キャ」という音は「キ」でもない「ヤ」でもない違った音で、これもキとヤの字で書く。キとヤとキャと三つの違った音が二つの文字によって書かれるのであります。かように、文字の使い方によって別の音も表わすことがありますから、違った文字が四十八しかないから違った音も四十八しかないというのではありません。しかしながら、それでもそう沢山の音がある訳ではなく、一定数しかないのであって、それも存外多くないのであります。日本の仮名は「キ」という音なら「キ」として一つの字で表わしますけれども、キの音を分解してみれば更にkの音とiの音とに分解できます。こんなに分解してみると、違った音の数はもっと減るのであります。かように分解してみると、東京あたりの標準的発音においては二十五ぐらい
次へ
全31ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
橋本 進吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング