の山岳崇拜の思想と五行思想の抱合ならんか。
以上の他、易及び陰陽思想の影響と見らるゝものは少からず。例へば八元八※[#「りっしんべん+豈」、第3水準1−84−59]の如きは易の八卦の思想にして、舜に二女を賜ふとあるは、『史記』卷一、五帝本紀には九男二女とありて女には偶數(陰)の最小なるを撰び、男には奇數(陽)の最大なるをあげしもの也。堯が在位七十歳、舜は五十歳といへる如きも陽數を尚ぶ思想より來れるものにして、之を實數として考ふるは蓋し妥當に非ざるべし。又かの夏が田五十歩を民に貸し貢法によりて租を取り、殷が田七十歩を民に與へて助法を行ひしといへるも亦、同一思想に胚胎するものと見るべし。
かく見來れば禹貢も亦、歴史的地理的事實を傳ふるものとは考ふ可らざる也。禹貢は支那全部を井田に分ちたるものにして、易の思想によりて太陽の數九を以てしたる也。
堯舜禹の史實として傳へらるゝ記事が創作物なりとせば、そは何れの時代に於いて製作せられしか。換言せば易、陰陽、五行、十二宮、二十八宿等の思想智識はいづれの時代に現はれしか。これ當面の問題也。
禹の九州の事は『書經』の中にも見え、齊の鄒衍之をいひ、
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