色つける四五百通の手紙と彼が今日昼読み返した旧い原稿とが這入つてゐるのだつた。
五
二三日道助は創作に没頭した。それが殆《ほとん》ど半ば程進んだ頃のある曇つた日の午後。
彼はもう何枚目かの原稿紙を破り棄て、低く垂れた空へ疲れた眼を見据ゑてゐた。彼女は彼女でその傍に少し膝を崩して坐り、当のない憂欝に引き込まれながら、先刻道助が癇癪《かんしやく》を起して物置きの中へ抛《はふ》り込んだ小鳥の鳴き声を追つてゐた。まるで彼等の生活は、その時硝子瓶の中へ閉ぢこめられたやうなものだつた。音、光、色彩、運動、そんなものが凡《すべ》て自由性を失つてしまひ、たゞ白けた得体の知れぬ現実がぐんぐんと押し迫つてくる……
道助は額の汗を拭いて立ち上つた。それを見ると彼女も立ち上つた。道助は静かに玄関へ出た。すると彼女も密《そ》つとついて来た。彼は振り返つて彼女の眼を見た。その鞏膜《きようまく》が変に光つてゐる。
「おい、俺は少し散歩するよ。」と彼が小声で云つた。
「妾も参ります。」と彼女も小声で答へた。
「お天気の所為《せゐ》かな。」と道助は歩きながら考へた。
暫《しばら》くゆくと彼は跫音《
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