口笛を鳴らした。弟は大声で軍歌を唄った。歌津子は空を仰いだり彼らの歌に耳をすまして微笑《ほほえ》んだり、今買った京人形を愛《いとお》しんだりして歩いていた。
しばらくゆくと、彼女がふいと兄のからだに抱きついて彼を引き戻した。闇《くら》がりから大きな馬の顔が現れた。
「ちっとも見えないんだ。」と兄が言った。彼女はしっかりと兄の手を握って息を喘《はず》ませた。
それを見ると弟はきゅうに口を緘《つぐ》んで、彼女を放っておいてどんどん先へいった。弟の胸の中に不満と淋しさが膨《ふく》れ上っていたのだ。
その夜、床にはいってから、弟は夜着の中でいつまでも眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85、11上−10]《みは》っていた。そして彼は、隣りに眠っている兄の穏かな寝息きを聞くと、こっそり起き上って、枕もとの兄の黒眼鏡を持って縁側に出た。そして、廁《かわや》の側の雨戸を開けて、星の輝いてる空に向って、力限り抛《ほう》り上げた。それから床に戻って、いつか教会で聞いた神様の名を幾度も口の中で繰り返えした。いつの間にか涙が眼にいっぱいに溢れた。そうして瞼《まぶた》を合せると、自分が歌津子と肩を組
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