ていた。それから彼らは闇《くら》い道をてんでに別なことを考えつつ引き返えした。途中で雨が降ってきた。弟は車を道ばたに置いて十間ほど後から来る彼女のところへ戻っていった。
「遅れるから忙《いそ》ごう。」
 そう言って彼は彼女の手をとった。彼女は眼にいっぱい涙を溜めていた。それがきゅうに唇を震わせて彼を見た。
「車にお乗り。」そして彼は胸を轟《とどろ》かしながら彼女の肩に手をかけた。彼女はもう一度鋭く彼を見詰め、それから不意に彼の胸を押し除《の》けて駈けだした。彼は硬くなって彼女の後姿を見守った、そして車のところへ戻って、提灯《ちょうちん》に火を点《つ》け、寂《さび》しい車輪の音をひびかせながら彼女のあとを家に帰った。

     五

 父が亡くなって弟があとをやっていくようになった。学校を途中で廃《よ》して帰ってきた兄は、家の庭に研究所を建ててほとんど終日それに籠《こも》っていた。兄は歌津子と結婚した。そして幸福であった。
 ある日兄は少し興奮して弟を研究所へ引張っていった。トリキナ病の血清注射の研究に使われる鼠や鶏の肝臓で何カ月も飼養されてるイモリがガサガサと音を立ててる間を抜けて彼
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