には省く。
 男爵の事は兼ていろ/\と噂を聞いてゐる。しかし噂をする者は各其見る所の男爵を伝へ真の男爵を伝へ得ぬ、而して其噂をする人の眼識より推す時に其見得たる所は甚だ覚束かない。僕は敢て男爵を知り得たとは云〔はない〕しかし葡萄のやうな僕の眼に映じた男爵は理想家にして又実際家である。この理想に依つて所謂人事を尽すに方つて男爵は極て緻密の注意を用ふる、細心に斟酌を加へる、故に豪放の中に慎重を寓し事の細目にまで渉つて齷齪[#「齷齪」は底本では「齷齦」]はせぬが大局を掴むに大掴みに掴まぬ、必ず惨憺たる苦心を経て後始て間違のない所を掴む。
 今の世でも理想家はある、しかし多くの理想家の理想は死理想で役に立たない、実際家は固より多い、しかし実際家は理想を欠くが故に其為る所は動もすれば委下瑣末に流れて生存に役せられてゐる、かまけてゐる。理想に囚はれず実際に役せられず、超然として心を物外に居きながら敢然として身を物内に投じて活殺自在の働きを為し得る真人間は存外少ない、否殆どないが、僕の見た男は則ち其人たるに庶幾い、男は敢て他人を模倣しない、又他人の模倣を許さぬ、後藤新平は頂天立地一個の後藤新平である
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