ある。これらは凡て文章の意味を明らかにする以外、音調の関係からして、副詞を入れたいから入れたり、二つで充分に足りている形容詞をも、一つ加えて三つとしたりするのである。コンマの切り方なども、単に意味の上から切るばかりでなく、文調の関係から切る場合が少くない。
されば、外国文を翻訳する場合に、意味ばかりを考えて、これに重きを置くと原文をこわす虞《おそれ》がある。須《すべか》らく原文の音調を呑み込んで、それを移すようにせねばならぬと、こう自分は信じたので、コンマ、ピリオドの一つをも濫《みだ》りに棄てず、原文にコンマが三つ、ピリオドが一つあれば、訳文にも亦ピリオドが一つ、コンマが三つという風にして、原文の調子を移そうとした。殊に翻訳を為始めた頃は、語数も原文と同じくし、形をも崩すことなく、偏《ひと》えに原文の音調を移すのを目的として、形の上に大変苦労したのだが、さて実際はなかなか思うように行かぬ、中にはどうしても自分の標準に合わすことの出来ぬものもあった。で、自分は自分の標準に依って訳する丈けの手腕《うで》がないものと諦らめても見たが、併しそれは決して本意ではなかったので、其の後《のち》とて
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