事だ。これが文学的労作と関係のある点はどうか。第一『浮雲』から御話するが、あの作は公平に見て多少好評であったに係らず、私は非常に卑下していた。今でも無い如く、其当時も自信というものが少しも無かった。然るに一方には正直という理想がある。芸術に対する尊敬心もある。この卑下、正直、芸術尊敬の三つのエレメントが抱和した結果はどうかと云うに、まあ、こんな事を考える様になったんだ――将来は知らず、当時の自分が文壇に立つなどは僭越至極、芸術を辱しむる所以である。正直の理想にも叶って居らん……と思うものの、また一方では、同じく「正直《しょうじき》」から出立して、親の臑《すね》を噛っているのは不可《いかん》、独立独行、誰《たれ》の恩をも被《き》ては不可《いかん》、となる。すると勢い金が欲しくなる。欲しくなると小説でも書かなければならんがそいつは芸術に対して済まない。剰《あまつさ》え、最初は自分の名では出版さえ出来ずに、坪内さんの名を借りて、漸《やっ》と本屋を納得させるような有様であったから、是れ取りも直さず、利のために坪内さんをして心にもない不正な事を為《さ》せるんだ。即ち私が利用するも同然である。のみ
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