事だが、実はあれに就いては人の知らない苦悶をした事がある。
 私は当時「正直《しょうじき》」の二字を理想として、俯仰天地に愧《は》じざる生活をしたいという考えを有《も》っていた。この「正直《しょうじき》」なる思想は露文学から養われた点もあるが、もっと大関係のあるのは、私が受けた儒教の感化である。話は少し以前に遡るが、私は帝国主義《インペリアリズム》の感化を受けたと同時に、儒教の感化をも余程蒙った。だから一方に於ては、孔子の実践躬行という思想がなかなか深く頭に入っている。……いわばまあ、上っ面の浮かれに過ぎないのだけれど、兎に角上っ面で熱心になっていた。一寸《ちょっと》、一例を挙げれば、先生の講義を聴く時に私は両手を突かないじゃ聴かなんだものだ。これは先生の人格よりか「道」その物に対して敬意を払ったので。こういう宗教的傾向、哲学的傾向は私には早くからあった。つまり東洋の儒教的感化と、露文学やら西洋哲学やらの感化とが結合って、それに社会主義《ソシアリズム》の影響もあって、ここに私の道徳的の中心観念、即ち俯仰天地に愧《は》じざる「正直《しょうじき》」が形づくられたのだ。
 併しこれは思想上の
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