その人を純化してタイプにして行くと、タイプはノーションじゃなくて、具体的のものだから、それ、最初の目的が達せられるという訳だ。この意味からだと『浮雲』にもモデルが無いじゃないが、私のいうモデルと、世間のそれとは或は意味が違ってるかも知れん。
兎に角、作の上の思想に、露文学の影響を受けた事は拒まれん。べーリンスキーの批評文なども愛読していた時代だから、日本文明の裏面を描き出してやろうと云うような意気込みもあったので、あの作が、議論が土台になってるのも、つまりそんな訳からである。文章は、上巻の方は、三|馬《ば》、風来《ふうらい》、全交《ぜんこう》、饗庭《あえば》さんなぞがごちゃ混ぜになってる。中巻は最早《もう》日本人を離れて、西洋文を取って来た。つまり西洋文を輸入しようという考えからで、先ずドストエフスキー、ガンチャロフ等を学び、主にドストエフスキーの書方に傾いた。それから下巻になると、矢張り多少はそれ等の人々の影響もあるが、一番多く真似たのはガンチャロフの文章であった。
さて『浮雲』の話の序《つい》でだが、前に金を取りたい為にあれを作ったと云った。然う云って了えば生優《なまやさ》しい
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