~いて遣った――は好かったが、其晩一晩|啼通《なきとお》されて、私は些《ちっ》とも知らなんだが、お蔭で母は父に小言を言われたそうな。
十三
犬嫌《いぬぎらい》の父は泊めた其夜《そのよ》を啼明《なきあか》されると、うんざりして了って、翌日《あくるひ》は是非|逐出《おいだ》すと言出したから、私は小狗《こいぬ》を抱いて逃廻って、如何《どう》しても放さなかった。父は困った顔をしていたが、併し其も一|時《じ》の事で、其中《そのうち》に小狗《こいぬ》も独寝《ひとりね》に慣れて、夜も啼かなくなる。と、逐出《おいだ》す筈の者に、如何《いつ》しかポチという名まで附いて、姿が見えぬと父までが一緒に捜すようになって了った。
父が斯うなったのも、無論ポチを愛したからではない。唯私に覊《ひか》されたのだ。私とてもポチを手放し得なかったのは、強《あなが》ちポチを愛したからではない。愛する愛さんは扨置《さてお》いて、私は唯|可哀《かわい》そうだったのだ。親の乳房に縋《すが》っている所を、無理に無慈悲な人間の手に引離されて、暗い浮世へ突放《つきはな》された犬の子の運命が、子供心にも如何にも果敢《はか》なく情けないように思われて、手放すに忍びなかったのだ。
此忍びぬ心と、その忍びぬ心を破るに忍びぬ心と、二つの忍びぬ心が搦《から》み合った処に、ポチは旨《うま》く引掛《ひッかか》って、辛《から》くも棒|石塊《いしころ》の危ない浮世に彷徨《さまよ》う憂目を免《のが》れた。で、どうせ、それは、蜘蛛《くも》の巣だらけでは有ったろうけれど、兎も角も雨露《うろ》を凌《しの》ぐに足る椽の下の菰《こも》の上で、甘《うま》くはなくとも朝夕二度の汁掛け飯に事欠かず、まず無事に暢《のん》びりと育った。
育つに随《つ》れて、丸々と肥《ふと》って可愛らしかったのが、身長《せい》に幅を取られて、ヒョロ長くなり、面《かお》も甚《ひど》くトギスになって、一寸《ちょッと》狐のような犬になって了った。前足を突張って、尻をもったてて、弓のように反《そ》って伸《のび》をしながら、大きな口をアングリ開《あ》いて欠《あく》びをする所なぞは、誰《た》が眼にも余《あん》まり見《みっ》とも好くもなかったから、父は始終厭な犬だ厭な犬だと言って私を厭がらせたが、私はそんな犬振りで情《じょう》を二三にするような、そんな軽薄な心は聊《いささ》かも無い。固《もと》より玩弄物《なぐさみもの》にする気で飼ったのでないから、厭な犬だと言われる程、尚|可愛《かわ》ゆい。
「ねえ、阿母《おっか》さん此様《こん》な犬は何処へ行ったって可愛がられやしないやねえ。だから家《うち》で可愛がって遣るんだねえ。」
と、いつも苦笑する母を無理に味方にして、調戯《からか》う父と争った。
犬好《いぬずき》は犬が知る。私の此心はポチにも自然と感通していたらしい。其証拠には犬嫌いの父が呼んでも、ほんの一寸《ちょっと》お愛想《あいそ》に尻尾を掉《ふ》るばかりで、振向きもせんで行って了う事がある。母が呼ぶと、不断食事の世話になる人だから、又何か貰えるかと思って眼を輝かして飛んで来る、而《そう》して母の手中に其らしい物があれば、兎のように跳ねて喜ぶ。が、しかし、唯其丈の事で、其時のポチは矢張《やっぱり》犬に違いない。
その矢張《やっぱり》犬に違いないポチが、私に対《むか》うと……犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか? ……何方《どっち》だか其は分らんが、兎に角互の熱情熱愛に、人畜《にんちく》の差別《さべつ》を撥無《はつむ》して、渾然として一|如《にょ》となる。
一|如《にょ》となる。だから、今でも時々私は犬と一緒になって此様《こん》な事を思う、ああ、儘になるなら人間の面《つら》の見えぬ処へ行って、飯を食って生きてたいと。
犬も屹度《きっと》然う思うに違いないと思う。
十四
私は生来の朝寝坊だから、毎朝二度三度|覚《おこ》されても、中々起きない。優しくしていては際限がないので、母が最終《しまい》には夜着を剥《は》ぐ。これで流石《さすが》の朝寝坊も不承々々に床を離れるが、しかし大不平《だいふへい》だ。額で母を睨《にら》めて、津蟹《づがに》が泡を吐くように、沸々《ぶつぶつ》言っている。ポチは朝起だから、もう其時分には疾《とッ》くに朝飯《あさめし》も済んで、一切《ひとッき》り遊んだ所だが、私の声を聴き付けると、何処に居ても一目散に飛んで来る。
これで私の機嫌も直る。急に現金に莞爾々々《にこにこ》となって、急いで庭へ降りる所を、ポチが透《すか》さず泥足で飛付く。細い人参程の赤ちゃけた尻尾を懸命に掉《ふ》り立って、嬉しそうに面《かお》を瞻上《みあげ》る。視下す。目と目と直《ぴっ》たりと合う。堪《た》まらなくなって私が横抱に引《ひ》ン抱《だ》く。ポチは抱かれながら、身を藻掻《もが》いて大暴れに暴れ、私の手を舐《な》め、胸を舐《な》め、顋《あご》を舐《な》め、頬《ほお》を舐《な》め、舐めても舐めても舐め足らないで、悪くすると、口まで舐《な》める。父が面《かお》を顰《しか》めて汚い汚いと曰う。成程、考えて見れば、汚いようではあるけれども……しかし、私は嬉しい、止《や》められない。如何《どう》して是が止《や》められるもんか! 私が何も好《い》い物を持っているじゃなし、ポチも其は承知で為《す》る事だ。利害の念を離れて居るのだ、唯懐かしいという刹那の心になって居るのだ。毎朝これでは着物が堪《たま》らないと、母は其を零《こぼ》すけれど、着物なんぞの汚《けが》れを厭《いと》って、ポチの此志を無にする事が出来た話だか、話でないか、其処を一つ考えて貰いたい。
理窟は扨《さて》置いて、この面舐《かおな》めの一儀が済むと、ポチも漸《やッ》と是で気が済んだという形で、また庭先をうろうろし出して、椽の下なぞを覗いて見る。と、其処に草鞋虫《わらじむし》の一杯|依附《たか》った古草履の片足《かたし》か何ぞが有る。好《い》い物を看附けたと言いそうな面《かお》をして、其を咥《くわ》え出して来て、首を一つ掉《ふ》ると、草履は横飛にポンと飛ぶ。透《すか》さず追蒐《おっか》けて行って、又|咥《くわ》えてポンと抛《ほう》る。其様《そん》な他愛《たわい》もない事をして、活溌に元気よく遊ぶ。
其隙《そのひま》に私は面《かお》を洗う、飯を食う。それが済むと、今度は学校《がっこう》へ行く段取になるのだが、此時が一日中で一番私の苦痛の時だ。ポチが跟《あと》を追う。うッかり出ようものなら、何処迄も何処迄も随《つ》いて来て、逐《お》ったって如何《どう》したって帰らない。こッそり出ようとしても、出掛ける時刻をチャンと知って居て、其時分になると、何時《いつ》の間にか玄関先へ廻って待っている。仕方がないから、最終《しまい》には取捉《とッつか》まえて否応《いやおう》なしに格子戸の内へ入れて置いては出るようにしていたが、然うすると前足で格子を引掻いて、悲しい悲しい血を吐きそうな啼声《なきごえ》を立てて後《あと》を慕い、姿が見えなくなっても啼止《なきや》まない。私もそれは同じ想だ。泣出しそうな面《かお》をして、バタバタと駆出し、声の聞えない処まで来て、漸くホッとして、普通《なみ》の歩調《あしどり》になる、而《そう》して常《いつ》も心の中《うち》で反覆《くりかえ》し反覆し此様《こん》な事を思う、
「僕が居ないと淋しいもんだから、それで彼様《あんな》に跟《あと》を追うンだ。可哀そうだなあ……僕《ぼか》ぁ学校なんぞへ行《い》きたか無いンだけど……行《い》かないと、阿父《おとっ》さんがポチを棄《す》てッ了《ちま》うッて言うもんだから、それでシヨウがないから行《い》くンだけども……」
十五
ジャンジャンと放課の鐘が鳴る。今迄静かだった校舎内が俄《にわか》に騒がしくなって、彼方此方《あちこち》の教室の戸が前後して慌《あわた》だしくパッパッと開《あ》く。と、その狭い口から、物の真黒な塊りがドッと廊下へ吐出され、崩れてばらばらの子供になり、我勝《われがち》に玄関脇の昇降口を目蒐《めが》けて駈出しながら、口々に何だか喚《わめ》く。只もう校舎を撼《ゆす》ってワーッという声の中《うち》に、無数の円い顔が黙って大きな口を開《あ》いて躍っているようで、何を喚《わめ》いているのか分らない。で、それが一旦昇降口へ吸込まれて、此処で又|紛々《ごたごた》と入乱れ重なり合って、腋の下から才槌頭《さいづちあたま》が偶然《ひょっ》と出たり、外歯《そっぱ》へ肱が打着《ぶつ》かったり、靴の踵《かかと》が生憎《あいにく》と霜焼《しもやけ》の足を踏んだりして、上を下へと捏返《こねかえ》した揚句に、ワッと門外《もんそと》へ押出して、東西へ散々《ぢりぢり》になる。
仲善《なかよし》二人肩へ手を掛合って行く前に、弁当箱をポンと抛《ほう》り上げてはチョイと受けて行く頑童《いたずら》がある。其隣りは往来の石塊《いしころ》を蹴飛ばし蹴飛ばし行く。誰だか、後刻《あと》で遊びに行《い》くよ、と喚《わめ》く。蝗《いなご》を取りに行《い》かないか、という声もする。君々と呼ぶ背後《うしろ》で、馬鹿野郎と誰かが誰かを罵《ののし》る。あ、痛《い》たッ、何でい、わーい、という声が譟然《がやがや》と入違って、友達は皆道草を喰っている中を、私一人は駈脱《かけぬ》けるようにして側視《わきみ》もせずに切々《せっせ》と帰って来る。
家《うち》の横町の角迄来て擽《くすぐッ》たいような心持になって、窃《そッ》と其方角を観る。果してポチが門前へ迎えに出ている。私を看附《みつけ》るや、逸散《いっさん》に飛んで来て、飛付く、舐《な》める。何だか「兄さん!」と言ったような気がする。若し本包《ほんづつみ》に、弁当箱に、草履袋で両手が塞《ふさ》がっていなかったら、私は此時ポチを捉《つか》まえて何を行《や》ったか分らないが、其が有るばかりで、如何《どう》する事も出来ない。拠《よん》どころなくほたほたしながら頭を撫《な》でて遣るだけで不承《ふしょう》して、又歩き出す。と、ポチも忽ち身を曲《くね》らせて、横飛にヒョイと飛んで駈出すかと思うと、立止って、私の面《かお》を看て滑稽《おどけ》た眼色《めつき》をする。追付くと、又逃げて又其|眼色《めつき》をする。こうして巫山戯《ふざけ》ながら一緒に帰る。
玄関から大きな声で、「只今!」といいながら、内へ駈込んで、卒然《いきなり》本包を其処へ抛《ほう》り出し、慌《あわ》てて弁当箱を開けて、今日のお菜の残り――と称して、実は喫《た》べたかったのを我慢して、半分残して来た其物《それ》をポチに遣《や》る。其れでも足らないで、お八ツにお煎を三枚貰ったのを、責《せび》って五枚にして貰って、二枚は喫《た》べて、三枚は又ポチに遣る。
夫から庭で一しきりポチと遊ぶと、母が屹度《きっと》お温習《さらい》をお為《し》という。このお温習《さらい》程私の嫌いな事はなかったが、之をしないと、直《じき》ポチを棄《すて》ると言われるのが辛いので、渋々内へ入って、形《かた》の如く本を取出し、少し許《ばかり》おんにょごおんにょごと行《や》る。それでお終《しまい》だ。余《あんま》り早いねと母がいういのを、空耳《そらみみ》潰《つぶ》して、衝《つ》と外へ出て、ポチ来い、ポチ来いと呼びながら、近くの原へ一緒に遊びに行く。
これが私の日課で、ポチでなければ夜《よ》も日も明けなかった。
十六
ポチは日増しにメキメキと大きくなる。大きくはなるけれど、まだ一向に孩児《ねんねえ》で、垣の根方《ねがた》に大きな穴を掘って見たり、下駄を片足|門外《もんそと》へ啣《くわ》え出したり、其様《そんな》悪戯《いたずら》ばかりして喜んでいる。
それに非常に人懐こくて、門前を通掛りの、私のような犬好が、気紛れにチョッチョッと呼んでも、直《すぐ》ともう尾を掉《ふ》って飛んで行く。況《ま》して家《うち》へ来た人だと
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