平凡
二葉亭四迷
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)今年《ことし》三十九になる。
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)私|位《ぐらい》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)※[#「勹/夕」、第3水準1−14−76]々《さっさ》と
−−
一
私は今年《ことし》三十九になる。人世《じんせい》五十が通相場《とおりそうば》なら、まだ今日明日《きょうあす》穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気《あッけ》ない。まだまだと云ってる中《うち》にいつしか此世の隙《ひま》が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻《あが》いたって藻掻《もが》いたって追付《おッつ》かない。覚悟をするなら今の中《うち》だ。
いや、しかし私も老込んだ。三十九には老込みようがチト早過ぎるという人も有ろうが、気の持方《もちかた》は年よりも老《ふ》けた方が好い。それだと無難だ。
如何《どう》して此様《こん》な老人《としより》じみた心持になったものか知らぬが、強《あなが》ち苦労をして来た所為《せい》では有るまい。私|位《ぐらい》の苦労は誰でもしている。尤も苦労しても一向苦労に負《め》げぬ何時迄《いつまで》も元気な人もある。或は苦労が上辷《うわすべ》りをして心に浸《し》みないように、何時迄《いつまで》も稚気《おさなぎ》の失せぬお坊さん質《だち》の人もあるが、大抵は皆私のように苦労に負《め》げて、年よりは老込んで、意久地《いくじ》なく所帯染《しょたいじ》みて了い、役所の帰りに鮭《しゃけ》を二切《ふたきれ》竹の皮に包んで提《さ》げて来る気になる、それが普通だと、まあ、思って自ら慰めている。
もう斯《こ》うなると前途が見え透く。もう如何様《どんな》に藻掻《もがい》たとて駄目だと思う。残念と思わぬではないが、思ったとて仕方がない。それよりは其隙《そのひま》で内職の賃訳《ちんやく》の一枚も余計にして、もう、これ、冬が近いから、家内中に綿入れの一枚も引張《ひっぱ》らせる算段を為《し》なければならぬ。
もう私は大した慾もない。どうか忰《せがれ》が中学を卒業する迄首尾よく役所を勤めて居たい、其迄に小金の少しも溜めて、いつ何時《なんどき》私に如何《どん》な事が有っても、妻子が路頭に迷わぬ程にして置きたいと思うだけだが、それが果して出来るものやら、出来ぬものやら、甚だ覚束《おぼつか》ないので心細い……
が、考えると、昔は斯うではなかった。人並に血気は壮《さかん》だったから、我より先に生れた者が、十年二十年世の塩を踏むと、百人が九十九人まで、皆《みんな》じめじめと所帯染《しょたいじ》みて了うのを見て、意久地《いくじ》の無い奴等だ。そんな平凡な生活をする位なら、寧《いっ》そ首でも縊《くく》って死ン了《じま》え、などと蔭では嘲けったものだったが、嘲けっている中《うち》に、自分もいつしか所帯染《しょたいじ》みて、人に嘲けられる身の上になって了った。
こうなって見ると、浮世は夢の如しとは能《よ》く言ったものだと熟々《つくつく》思う。成程人の一生は夢で、而も夢中に夢とは思わない、覚めて後《のち》其と気が附く。気が附いた時には、夢はもう我を去って、千里万里《せんりばんり》を相隔てている。もう如何《どう》する事も出来ぬ。
もう十年早く気が附いたらとは誰《たれ》しも思う所だろうが、皆判で捺《お》したように、十年後れて気が附く。人生は斯うしたものだから、今私共を嗤《わら》う青年達も、軈《やが》ては矢張《やっぱ》り同じ様に、後《のち》の青年達に嗤《わら》われて、残念がって穴に入る事だろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢《はか》ないような、味気ないような、妙な気がして、泣きたくなる……
あッ、はッ、は! ……いや、しかし、私も老込んだ。こんな愚痴が出る所を見ると、愈《いよいよ》老込んだに違いない。
二
老込んだ証拠には、近頃は少し暇だと直ぐ過去を憶出《おもいだ》す。いや憶出《おもいだ》しても一向|憶出《おもいだ》し栄《ばえ》のせぬ過去で、何一つ仕出来《しでか》した事もない、どころじゃない、皆碌でもない事ばかりだ。が、それでいて、其《その》失敗の過去が、私に取っては何処か床しい処がある、後悔慚愧|腸《はらわた》を断《た》つ想《おもい》が有りながら、それでいて何となく心を惹付《ひきつ》けられる。
日曜に妻子を親類へ無沙汰見舞に遣った跡で、長火鉢の側《そば》で徒然《ぽつねん》としていると、半生《はんせい》の悔しかった事、悲しかった事、乃至《ないし》嬉しかった事が、玩具《おもちゃ》のカレードスコープを見るように、紛々《ごたごた》と目まぐるしく心の上面《うわつら》を過ぎて行く。初は面白半分に目を瞑《ねむ》って之に対《むか》っている中《うち》に、いつしか魂《たましい》が藻脱《もぬ》けて其中へ紛れ込んだように、恍惚《うっとり》として暫く夢現《ゆめうつつ》の境を迷っていると、
「今日《こんち》は! 桝屋《ますや》でございます!」
と、ツイ障子|一重《ひとえ》其処の台所口で、頓狂な酒屋の御用の声がする。これで、私は夢の覚めたような面《かお》になる。で、ぼやけた声で、
「まず好かったよ。」
酒屋の御用を逐返《おいかえ》してから、おお、斯うしてもいられん、と独言《ひとりごと》を言って、机を持出して、生計《くらし》の足しの安翻訳を始める。外国の貯蓄銀行の条例か何ぞに、絞ったら水の出そうな頭を散々悩ませつつ、一枚二枚は余所目《よそめ》を振らず一心に筆を運ぶが、其中《そのうち》に曖昧《あやふや》な処に出会《でっくわ》してグッと詰ると、まず一服と旧式の烟管《きせる》を取上げる。と、又忽然として懐かしい昔が眼前に浮ぶから、不覚《つい》其に現《うつつ》を脱かし、肝腎の翻訳がお留守になって、晩迄に二十枚は仕上げる積《つもり》の所を、十枚も出来ぬ事が折々ある。
こうどうも昔ばかりを憶出していた日には、内職の邪魔になるばかりで、卑《さも》しいようだが、銭《ぜに》にならぬ。寧《いつ》そのくされ、思う存分書いて見よか、と思ったのは先達《せんだっ》ての事だったが、其後《そのご》――矢張《やっぱ》り書く時節が到来したのだ――内職の賃訳が弗《ふっ》と途切れた。此暇《このひま》を遊《あす》んで暮すは勿体ない。私は兎に角書いて見よう。
実は、極く内々《ないない》の話だが、今でこそ私は腰弁当と人の数にも算《かず》まえられぬ果敢《はか》ない身の上だが、昔は是れでも何の某《なにがし》といや、或るサークルでは一寸《ちょっと》名の知れた文士だった。流石《さすが》に今でも文壇に昔馴染《むかしなじみ》が無いでもない。恥を忍んで泣付いて行ったら、随分一肩入れて、原稿を何処かの本屋へ嫁《かたづ》けて、若干《なにがし》かに仕て呉れる人が無いとは限らぬ。そうすりゃ、今年の暮は去年のような事もあるまい。何も可愛《かわゆ》い妻子《つまこ》の為だ。私は兎に角書いて見よう。
さて、題だが……題は何としよう? 此奴《こいつ》には昔から附倦《つけあぐ》んだものだッけ……と思案の末、礑《はた》と膝を拊《う》って、平凡! 平凡に、限る。平凡な者が平凡な筆で平凡な半生を叙するに、平凡という題は動かぬ所だ、と題が極《きま》る。
次には書方だが、これは工夫するがものはない。近頃は自然主義とか云って、何でも作者の経験した愚にも附かぬ事を、聊《いささ》かも技巧を加えず、有《あり》の儘に、だらだらと、牛の涎《よだれ》のように書くのが流行《はや》るそうだ。好《い》い事が流行《はや》る。私も矢張《やっぱ》り其で行く。
で、題は「平凡」、書方は牛の涎《よだれ》。
さあ、是からが本文《ほんもん》だが、此処らで回を改めたが好かろうと思う。
三
私は地方生れだ。戸籍を並べても仕方がないから、唯某県の某市として置く。其処で生れて其処で育ったのだ。
子供の時分の事は最う大抵忘れて了ったが、不思議なもので、覚えている事だと、判然《はっきり》と昨日《きのう》の事のように想われる事もある。中にも是ばかりは一生目の底に染付《しみつ》いて忘れられまいと思うのは十の時死別れた祖母の面《かお》だ。
今でも目を瞑《ねむ》ると、直ぐ顕然《まざまざ》と目の前に浮ぶ。面長《おもなが》の、老人だから無論|皺《しわ》は寄っていたが、締った口元で、段鼻で、なかなか上品な面相《かおつき》だったが、眼が大きな眼で、女には強過《きつすぎ》る程|権《けん》が有って、古屋の――これが私の家《うち》の姓だ――古屋の隠居の眼といったら、随分評判の眼だったそうだ。成程然ういえば、何か気に入らぬ事が有って祖母が白眼《しろめ》でジロリと睨《にら》むと、子供心にも何だか無気味だったような覚《おぼえ》がまだ有る。
大抵の人は気象が眼へ出ると云う。祖母が矢張《やっぱ》り其だった。全く眼色《めつき》のような気象で、勝気で、鋭くて、能《よ》く何かに気の附く、口も八丁手も八丁という、一口に言えば男勝《おとこまさ》り……まあ、そういった質《たち》の人だったそうな、――私は子供の事で一向夢中だったが。
生長後親類などの話で聞くと、それというが幾分か境遇の然らしめた所も有ったらしい――というのは、早く祖父に死なれて若い時から後家を徹《とお》して来た。後家という者はいつの世でも兎角人に影口《かげぐち》言れ勝の、割の悪いものだから、勝気の祖母はこれが悔しくて堪《たま》らない。それで、何の、女でこそあれ、と気を張る。気を張て油断をしなかったから、一生人に後指《うしろゆび》を差されるような過失はなかった代り、余り人に愛しもされずに年を取って了って、父の代となった。
父は祖母とは全《まる》で違っていた。如何《どう》して此人の腹に此様《こん》な人がと怪しまれる程の好人物で、面《かお》も薩張《さっぱ》り似ていなかった。大きな、笑うと目元に小皺《こじわ》の寄る、豊頬《ふっくり》した如何《いか》にも愛嬌のある円顔で、形《なり》も大柄だったが、何処か円味が有り、心も其通り角《かど》が無かった。快活で、蟠《わだかま》りがなくて、話が好きで、碁が好きで、暇《ひま》さえ有れば近所を打ち歩き、大きな嚏《くしゃみ》を自慢にする程の罪のない人だった。祖父が矢張《やっぱり》然うであったと云うから、大方其気象を受継いだのであろう。
父は此様《こん》な人だし、母は――私の子供の時分の母は、手拭を姉様冠《あねさまかぶ》りにして襷掛《たすきが》けで能《よ》くクレクレ働く人だった。其頃の事を誰《たれ》に聞いても、皆|阿母《おっか》さんは能く辛抱なすったとばかりで、其他《そのた》に何も言わぬから、私の記憶に残る其時分の母は、何時迄《いつまで》経《た》っても矢張《やっぱ》り手拭を姉様冠《あねさまかぶ》りにして、襷掛《たすきが》けで能《よ》くクレクレ働く人で、格別|如何《どう》いう人という事もない。
斯ういう家庭だったから、自然祖母が一家の実権を握っていた。家内中の事一から十迄祖母の方寸に捌《さば》かれて、母は下女か何ぞの様に逐使《おいつか》われる。父も一向家事には関係しないで、形式的に相談を受ければ、好うがしょう、とばかり言っている。然う言っていないと、祖母の機嫌が悪い、面倒だ。
母方の伯父で在方《ざいかた》で村長をしていた人があった。如何《どう》したのだか、祖母とは仲悪で、死後迄余り好くは言わなかったが、何かの話の序《ついで》に、阿母《おっか》さんもお祖母《ばあ》さんには随分泣されたものだよ、と私に言った事がある。成る程折々母が物蔭で泣いていると、いつも元気な父が其時ばかりは困った顔をして何か密々《ひそひそ》言っているのを、子供心にも不審に思った事があったが、それが伯父の謂うお祖母《ばあ》さんに泣かさ
次へ
全21ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング