ェい》させる事も出来ようかと思った。
聊《いささ》かながら稿料も貰えたから、二三の友を招いて、近所の牛肉店で祝宴を開いて、其晩遂に「遊び」に行った。其時案外不愉快であったのは曾て記した通り。皆嬉しさの余りに前後を忘却したので。
これが私の小説を書く病付《やみつ》きで又「遊び」の皮切であったが、それも是も縁の無い事ではない。私の身では思想の皮一枚|剥《めく》れば、下は文心即淫心だ。だから、些《ちっ》とも不思議はないが、同時に両方に夢中になってる中《うち》に、学校を除籍された。なに、月謝の滞《とどこお》りが原因だったから、復籍するに造作《ぞうさ》はなかったが、私は考えた、「寧《いっ》その事小説家になって了おう。法律を学んで望み通り政治家になれたって、仕方がない。政治家になって可惜《あたら》一生を物質的文明に献げて了うより、小説家になって精神的文明に貢献した方が高尚だ。其方が好《い》い……」どうも仕方がない。活眼を開いて人生の活相を観得なかった私が、例の古手の旧式の思想に捕われて、斯う思ったのは仕方がないが、夫《それ》にしても、同じ思想に捕われるにしても、も少し捕えられ方が有りそうなものだった。物心《ぶっしん》一|如《にょ》と其様《そん》な印度《いんど》臭《くさ》い思想に捕われろではないが、所謂《いわゆる》物質的文明は今世紀の人を支配する精神の発動だと、何故|思《おもわ》れなかったろう? 物質界と表裏して詩人や哲学者が顧《かえり》みぬ精神界が別にあると、何故|思《おもわ》れなかったろう? 人間の意識の表面に浮《うかん》だ別天地の精神界と違って、此精神界は着実で、有力で、吾々の生存に大関係があって、政治家は即ち此精神界を相手に仕事をするものだと、何故思われなかったろう? 此道理をも考えて、其上で去就を決したのなら、真面目な決心とも謂えようが……ああ、しかし、何《ど》の道《みち》思想に捕われては仕方がない。私は思想で、自ら欺いて、其様《そん》な浅墓《あさはか》な事を思っていたが、思想に上らぬ実際の私は全く別の事を思っていた。如何《どん》な事を思っていたかは、私の言う事では分らない、是から追々|為《す》る事で分る。
四十七
私は其時始て文士になろうと決心した、トサ後《のち》には人にも話していたけれど、事実でない。私は生来|未《いま》だ曾て決心をした事の無い男だ。いつも形勢が既に定《さだま》って動かすべからずなって、其形勢に制せられて始て決心するのだから、学校を除籍せられたばかりでは、未だ決心が出来なかった。唯下宿に臥転《ねころ》んでグズリグズリとして文士に為りそうになっていたのだ。
始めて決心したのは、如何《どう》してか不始末が国へ知れて父から驚いた手紙の来た時であった。行懸りで愚図々々はしていられなくなったから、始めて斯うと決心して事実を言って同意を求めてやると、父からは怒《おこ》った手紙が来る、母からは泣いた手紙が来る。親達が失望して情ながる面《かお》は手紙の上に浮いて見えるけれど、こうなると妙に剛情《ごうじょう》になって、因襲の陋見《ろうけん》に囚《とら》われている年寄の白髪頭《しらがあたま》を冷笑していた。親戚の某《なにがし》が用事が有って上京した序《ついで》に、私を連れて帰ろうとしたが、私は頑として動かなかった。そこで学資の仕送りは絶えた。
こうなるは最初から知れていながら、私は弱った。仕方がないから、例の某大家に縋《すが》って書生に置いて貰おうとすると、先生は相変らずグズリグズリと煮切らなかったが、奥さんが飽迄《あくまで》不承知で、先生を差措《さしお》いて、御自分の口から断然《きっぱり》断られた。私は案外だった。頼めば二つ返事で引受けて呉れるとばかり思っていたから、親戚の者が連れて行こうとした時にも、言わでもの広言迄吐いて拒んだのだが、こう断られて見ると、何だか先生夫婦に欺《あざむ》かれたような気がして、腹が立って耐《な》らなかった。世間の人は皆私の為に生きているような気でいたからだ。
もう斯うなっては、仕方がない、書けても書けんでも、筆で命を繋《つな》ぐより外《ほか》仕方がない。食うと食わぬの境になると、私でも必死になる。必死になって書いて書いて書捲《かきまく》って、その度に、悪感情は抱《いだ》いていたけれど、仕方がないから、某大家の所へ持って行って、筆を加えて貰った上に、売って迄貰っていた。其が為には都合上門人とも称していた。然うして一二年苦しんでいる中《うち》に、どうやら曲りなりにも一本立が出来るようになると、急に此前奥さんに断られた時の無念を想出《おもいだ》して、夫からは根岸のお宅へも無沙汰《ぶさた》になった。もう先生に余り用はない。先生は或は感情を害したかも知れないが、先生が感情を害したからって、世間が一緒になって感情を害しはすまいし……と思ったのではない、決して左様《そん》な軽薄な事は思わなかったが、私の行為を後《あと》から見ると、詰り然う思ったと同然になっている。
先生には用が無くなったが、文壇には用が有るから、私は広く交際した。大抵の雑誌には一人や二人の知己が出来た。こうして交際を広くして置くと、私の作が出た時に、其知己が余り酷《むご》くは評して呉れぬ。無論感服などする者は一人もない。私などに感服しては見識に関わる。何かしら瑕疵《きず》を見付けて、其で自分の見識を示した上で、しかし、まあ、可なりの作だと云う。褒《ほめ》る時には屹度《きっと》然う云う。私は局量が狭いから、批評家等が誰《たれ》も許しもせぬのに、作家よりも一段|上座《じょうざ》に坐り込んで、其処から曖昧《あやふや》な鑑識で軽率に人の苦心の作を評して、此方の鑑定に間違いはない、其通り思うて居れ、と言わぬばかりの高慢の面付《つらつき》が癪《しゃく》に触《さわ》って耐《たま》らなかったが、其を彼此《かれこれ》言うと、局量が狭いと言われる。成程其は事実だけれど、そう言われるのが厭だから、始終黙って憤《おこ》っていた。其癖批評家の言う所で流行の趨《おもむ》く所を察して、勉めて其に後れぬようにと心掛けていた……いや、心掛けていたのではない、其様《そん》な不見識な事は私の尤も擯斥《ひんせき》する所だったが、後《あと》から私の行為を見ると矢張《やっぱり》然う心掛けたと同然になっている。
四十八
久《しば》らく文壇を彷徨《うろうろ》している中《うち》に、当り作が漸く一つ出来た。批評家等は筆を揃えて皆近年の佳作だと云う。私は書いた時には左程にも思わなかったが、然う言われて見ると、成程佳作だ。或は佳作以上で、傑作かも知れん。私は不断紛々たる世間の批評以外に超然としている面色《かおつき》をしていて、実は非難《けな》されると、非常に腹が立って、少しでも褒《ほ》められると、非常に嬉しかったのだ。
当り作が出てからは、黙っていても、雑誌社から頼みに来る、書肆《しょし》から頼みに来る。私は引張凧《ひっぱりだこ》だ……トサ感じたので、なに、二三軒からの申込が一|時《じ》一寸《ちょっと》累《かさ》なったのに過ぎなかった。
嬉しかったので、調子に乗って又書くと、又評判が好《い》い。斯うなると、世間の注目は私一身に叢《あつ》まっているような気がして、何だか嬉しくて嬉しくて耐《たま》らないが、一方に於ては此評判を墜《おと》しては大変という心配も起って来た。で、平生は眼中に置かぬらしく言っていた批判家《ひひょうか》等《ら》に褒《ほめ》られたいが一杯で、愈《いよいよ》文学に熱中して、明けても暮れても文学の事ばかり言い暮らし、眼中唯文学あるのみで、文学の外《ほか》には何物もなかった。人生あっての文学ではなくて、文学あっての人生のような心持で、文学界以外の人生には殆ど何の注意も払わなかった。如何なる国家の大事が有っても、左程胸に響かなかった代り、文壇で鼠がゴトリというと、大地震の如く其を感じて騒ぎ立てた。之を又|真摯《しんし》の態度だとかいって感服する同臭味《どうしゅうみ》の人が広い世間には無いでもなかったので、私は老人がお宗旨に凝るように、愈《いよいよ》文学に凝固《こりかた》まって、政治が何だ、其日送りの遣繰仕事《やりくりしごと》じゃないか? 文学は人間の永久の仕事だ。吾々は其高尚な永久の仕事に従う天の選民だと、其日を離れて永久が別に有りでもするような事を言って、傲然として一世を睥睨《へいげい》していた。
文学上では私は写実主義を執《と》っていた。それも研究の結果写実主義を是《ぜ》として写実主義を執《とっ》たのではなくて、私の性格では勢い写実主義に傾かざるを得なかったのだ。
写実主義については一寸《ちょっと》今の自然主義に近い見解を持って、此様《こん》な事を言っていた。
写実主義は現実を如実に描写するものではない。如実に描写すれば写真になって了う。現実の(真《しん》とは言わなかった)真味を如実に描写するものである。詳しく言えば、作家のサブジェクチウィチー即ち主観に摂取し得た現実の真味を如実に再現するものである。
人生に目的ありや、帰趨ありや? 其様《そん》な事は人間に分るものでない。智の力で人生の意義を掴《つか》まんとする者は狂せずんば、自殺するに終る。唯人生の味《あじわい》なら、人間に味える。味っても味っても味い尽せぬ。又味わえば味わう程味が出る。旨い。苦中にも至味《しみ》はある。其|至味《しみ》を味わい得ぬ時、人は自殺する。人生の味いは無限だけれど、之を味わう人の能力には限りがある。
唯人は皆同じ様に人生の味《あじわい》を味わうとは言えぬ。能《よ》く料理を味わう者を料理通という。能《よ》く人生を味わう者を芸術家という。料理通は料理人でない如く、能《よ》く人生を味わう芸術家は能《よ》く人生を経理せんでも差支えはない。
道徳は人生を経理するに必要だろうけれど、人生の真味を味わう助《たすけ》にはならぬ。芸術と道徳とは竟《つい》に没交渉である。
是が私の見解であった。浅薄はさて置いて、此様《こん》な事を言って、始終言葉に転ぜられていたから、私は却て普通人よりも人生を観得なかったのである。
四十九
私の文学上の意見も大業だが、文学については先《ま》あ其様《そん》な他愛のない事を思って、浮れる積《つもり》もなく浮れていた。で、私の意見のようにすると、味《あじわ》わるるものは人生で、味わうものは作家の主観であるから、作家の主観の精粗に由て人生を味わう程度に深浅の別が生ずる。是《ここ》に於て作家は如何《どう》しても其主観を修養しなければならん事になる。
私は行々《ゆくゆく》は大文豪になりたいが一生の願《ねがい》だから、大《おおい》に人生に触れて主観の修養をしなければならん。が、漠然人生に触れるの主観を修養するのと言ってる中《うち》は、意味が能《よ》く分っているようでも、愈《いよいよ》実行する段になると、一寸《ちょっと》まごつく。何から何如《どう》手を着けて好《い》いか分らない。政治や実業は人生の一現象でも有ろうけれど、其様《そん》な物に大した味《あじわい》はない筈である。といって教育でもないし、文壇は始終触れているし、まあ、社会現象が一番面白そうだ。面白いというのは其処に人生の味が濃《こまや》かに味わわれる謂《いい》である。社会現象の中《うち》でも就中《なかんずく》男女の関係が最も面白そうだが、其面白味を十分に味わおうとするには、自分で実験しなければならん。それには一寸《ちょっと》相手に困る。人の恋をするのを傍観するのは、宛《あだか》も人が天麩羅《てんぷら》を喰ってるのを観て其味を想像するようなものではあるけれど、実験の出来ぬ中《うち》は傍観して満足するより外《ほか》仕方がない。が、新聞の記事では輪廓だけで内容が分らない。内容を知るには、恋する男女の間に割込んで、親しく其恋を観察するに限るが、恋する男女が其処らに落《おッ》こちても居ない。すると、当分まず恋の可能《ポッシビリチイ》を持
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