おっか》さんは能く辛抱なすったとばかりで、其他《そのた》に何も言わぬから、私の記憶に残る其時分の母は、何時迄《いつまで》経《た》っても矢張《やっぱ》り手拭を姉様冠《あねさまかぶ》りにして、襷掛《たすきが》けで能《よ》くクレクレ働く人で、格別|如何《どう》いう人という事もない。
 斯ういう家庭だったから、自然祖母が一家の実権を握っていた。家内中の事一から十迄祖母の方寸に捌《さば》かれて、母は下女か何ぞの様に逐使《おいつか》われる。父も一向家事には関係しないで、形式的に相談を受ければ、好うがしょう、とばかり言っている。然う言っていないと、祖母の機嫌が悪い、面倒だ。
 母方の伯父で在方《ざいかた》で村長をしていた人があった。如何《どう》したのだか、祖母とは仲悪で、死後迄余り好くは言わなかったが、何かの話の序《ついで》に、阿母《おっか》さんもお祖母《ばあ》さんには随分泣されたものだよ、と私に言った事がある。成る程折々母が物蔭で泣いていると、いつも元気な父が其時ばかりは困った顔をして何か密々《ひそひそ》言っているのを、子供心にも不審に思った事があったが、それが伯父の謂うお祖母《ばあ》さんに泣かさ
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