った事が、玩具《おもちゃ》のカレードスコープを見るように、紛々《ごたごた》と目まぐるしく心の上面《うわつら》を過ぎて行く。初は面白半分に目を瞑《ねむ》って之に対《むか》っている中《うち》に、いつしか魂《たましい》が藻脱《もぬ》けて其中へ紛れ込んだように、恍惚《うっとり》として暫く夢現《ゆめうつつ》の境を迷っていると、
「今日《こんち》は! 桝屋《ますや》でございます!」
と、ツイ障子|一重《ひとえ》其処の台所口で、頓狂な酒屋の御用の声がする。これで、私は夢の覚めたような面《かお》になる。で、ぼやけた声で、
「まず好かったよ。」
酒屋の御用を逐返《おいかえ》してから、おお、斯うしてもいられん、と独言《ひとりごと》を言って、机を持出して、生計《くらし》の足しの安翻訳を始める。外国の貯蓄銀行の条例か何ぞに、絞ったら水の出そうな頭を散々悩ませつつ、一枚二枚は余所目《よそめ》を振らず一心に筆を運ぶが、其中《そのうち》に曖昧《あやふや》な処に出会《でっくわ》してグッと詰ると、まず一服と旧式の烟管《きせる》を取上げる。と、又忽然として懐かしい昔が眼前に浮ぶから、不覚《つい》其に現《うつつ》を脱か
前へ
次へ
全207ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング