に、十年後れて気が附く。人生は斯うしたものだから、今私共を嗤《わら》う青年達も、軈《やが》ては矢張《やっぱ》り同じ様に、後《のち》の青年達に嗤《わら》われて、残念がって穴に入る事だろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢《はか》ないような、味気ないような、妙な気がして、泣きたくなる……
 あッ、はッ、は! ……いや、しかし、私も老込んだ。こんな愚痴が出る所を見ると、愈《いよいよ》老込んだに違いない。

          二

 老込んだ証拠には、近頃は少し暇だと直ぐ過去を憶出《おもいだ》す。いや憶出《おもいだ》しても一向|憶出《おもいだ》し栄《ばえ》のせぬ過去で、何一つ仕出来《しでか》した事もない、どころじゃない、皆碌でもない事ばかりだ。が、それでいて、其《その》失敗の過去が、私に取っては何処か床しい処がある、後悔慚愧|腸《はらわた》を断《た》つ想《おもい》が有りながら、それでいて何となく心を惹付《ひきつ》けられる。
 日曜に妻子を親類へ無沙汰見舞に遣った跡で、長火鉢の側《そば》で徒然《ぽつねん》としていると、半生《はんせい》の悔しかった事、悲しかった事、乃至《ないし》嬉しか
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