も溜めて、いつ何時《なんどき》私に如何《どん》な事が有っても、妻子が路頭に迷わぬ程にして置きたいと思うだけだが、それが果して出来るものやら、出来ぬものやら、甚だ覚束《おぼつか》ないので心細い……
 が、考えると、昔は斯うではなかった。人並に血気は壮《さかん》だったから、我より先に生れた者が、十年二十年世の塩を踏むと、百人が九十九人まで、皆《みんな》じめじめと所帯染《しょたいじ》みて了うのを見て、意久地《いくじ》の無い奴等だ。そんな平凡な生活をする位なら、寧《いっ》そ首でも縊《くく》って死ン了《じま》え、などと蔭では嘲けったものだったが、嘲けっている中《うち》に、自分もいつしか所帯染《しょたいじ》みて、人に嘲けられる身の上になって了った。
 こうなって見ると、浮世は夢の如しとは能《よ》く言ったものだと熟々《つくつく》思う。成程人の一生は夢で、而も夢中に夢とは思わない、覚めて後《のち》其と気が附く。気が附いた時には、夢はもう我を去って、千里万里《せんりばんり》を相隔てている。もう如何《どう》する事も出来ぬ。
 もう十年早く気が附いたらとは誰《たれ》しも思う所だろうが、皆判で捺《お》したよう
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