人《としより》じみた心持になったものか知らぬが、強《あなが》ち苦労をして来た所為《せい》では有るまい。私|位《ぐらい》の苦労は誰でもしている。尤も苦労しても一向苦労に負《め》げぬ何時迄《いつまで》も元気な人もある。或は苦労が上辷《うわすべ》りをして心に浸《し》みないように、何時迄《いつまで》も稚気《おさなぎ》の失せぬお坊さん質《だち》の人もあるが、大抵は皆私のように苦労に負《め》げて、年よりは老込んで、意久地《いくじ》なく所帯染《しょたいじ》みて了い、役所の帰りに鮭《しゃけ》を二切《ふたきれ》竹の皮に包んで提《さ》げて来る気になる、それが普通だと、まあ、思って自ら慰めている。
 もう斯《こ》うなると前途が見え透く。もう如何様《どんな》に藻掻《もがい》たとて駄目だと思う。残念と思わぬではないが、思ったとて仕方がない。それよりは其隙《そのひま》で内職の賃訳《ちんやく》の一枚も余計にして、もう、これ、冬が近いから、家内中に綿入れの一枚も引張《ひっぱ》らせる算段を為《し》なければならぬ。
 もう私は大した慾もない。どうか忰《せがれ》が中学を卒業する迄首尾よく役所を勤めて居たい、其迄に小金の少し
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