チた。

          九

 先刻《さっき》旧友の一人が尋ねて来た。此人は今でも文壇に籍を置いてる人で、人の面《かお》さえ見れば、君ねえ、ナチュラリーズムがねえと、グズリグズリを始める人だ。
 神経衰弱を標榜している人だから耐《たま》らない。来ると、ニチャニチャと飴を食ってるような弁で、直《すぐ》と自分の噂を始める。やあ、僕の理想は多角形で光沢があるの、やあ、僕の神経は錐《きり》の様に尖《とン》がって来たから、是で一つ神秘の門を突《つッ》いて見る積《つもり》だのと、其様《そんな》事ばかり言う。でなきゃ、文壇の噂で人の全盛に修羅《しゅら》を燃《もや》し、何かしらケチを附けたがって、君、何某《なにがし》のと、近頃評判の作家の名を言って、姦通一件を聞いたかという。また始まったと、うんざりしながら、いやそんな事僕は知らんと、ぶっきらぼうに言うけれど、文士だから人の腹なんぞは分らない。人が知らんというのに反って調子づいて、秘密の話だよ、此場限りだよと、私が十人目の聴手かも知れぬ癖に、悪念《わるねん》を推して、その何某《なにがし》が友の何某《なにがし》の妻と姦通している話を始める。何とかが
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