{するのと言ってる中《うち》は、意味が能《よ》く分っているようでも、愈《いよいよ》実行する段になると、一寸《ちょっと》まごつく。何から何如《どう》手を着けて好《い》いか分らない。政治や実業は人生の一現象でも有ろうけれど、其様《そん》な物に大した味《あじわい》はない筈である。といって教育でもないし、文壇は始終触れているし、まあ、社会現象が一番面白そうだ。面白いというのは其処に人生の味が濃《こまや》かに味わわれる謂《いい》である。社会現象の中《うち》でも就中《なかんずく》男女の関係が最も面白そうだが、其面白味を十分に味わおうとするには、自分で実験しなければならん。それには一寸《ちょっと》相手に困る。人の恋をするのを傍観するのは、宛《あだか》も人が天麩羅《てんぷら》を喰ってるのを観て其味を想像するようなものではあるけれど、実験の出来ぬ中《うち》は傍観して満足するより外《ほか》仕方がない。が、新聞の記事では輪廓だけで内容が分らない。内容を知るには、恋する男女の間に割込んで、親しく其恋を観察するに限るが、恋する男女が其処らに落《おッ》こちても居ない。すると、当分まず恋の可能《ポッシビリチイ》を持
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