B能《よ》く料理を味わう者を料理通という。能《よ》く人生を味わう者を芸術家という。料理通は料理人でない如く、能《よ》く人生を味わう芸術家は能《よ》く人生を経理せんでも差支えはない。
 道徳は人生を経理するに必要だろうけれど、人生の真味を味わう助《たすけ》にはならぬ。芸術と道徳とは竟《つい》に没交渉である。
 是が私の見解であった。浅薄はさて置いて、此様《こん》な事を言って、始終言葉に転ぜられていたから、私は却て普通人よりも人生を観得なかったのである。

          四十九

 私の文学上の意見も大業だが、文学については先《ま》あ其様《そん》な他愛のない事を思って、浮れる積《つもり》もなく浮れていた。で、私の意見のようにすると、味《あじわ》わるるものは人生で、味わうものは作家の主観であるから、作家の主観の精粗に由て人生を味わう程度に深浅の別が生ずる。是《ここ》に於て作家は如何《どう》しても其主観を修養しなければならん事になる。
 私は行々《ゆくゆく》は大文豪になりたいが一生の願《ねがい》だから、大《おおい》に人生に触れて主観の修養をしなければならん。が、漠然人生に触れるの主観を修
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