Qしたからって、世間が一緒になって感情を害しはすまいし……と思ったのではない、決して左様《そん》な軽薄な事は思わなかったが、私の行為を後《あと》から見ると、詰り然う思ったと同然になっている。
 先生には用が無くなったが、文壇には用が有るから、私は広く交際した。大抵の雑誌には一人や二人の知己が出来た。こうして交際を広くして置くと、私の作が出た時に、其知己が余り酷《むご》くは評して呉れぬ。無論感服などする者は一人もない。私などに感服しては見識に関わる。何かしら瑕疵《きず》を見付けて、其で自分の見識を示した上で、しかし、まあ、可なりの作だと云う。褒《ほめ》る時には屹度《きっと》然う云う。私は局量が狭いから、批評家等が誰《たれ》も許しもせぬのに、作家よりも一段|上座《じょうざ》に坐り込んで、其処から曖昧《あやふや》な鑑識で軽率に人の苦心の作を評して、此方の鑑定に間違いはない、其通り思うて居れ、と言わぬばかりの高慢の面付《つらつき》が癪《しゃく》に触《さわ》って耐《たま》らなかったが、其を彼此《かれこれ》言うと、局量が狭いと言われる。成程其は事実だけれど、そう言われるのが厭だから、始終黙って憤《
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