カ《ちくしょう》と同じ心持になるのか?
トルストイは北方の哲人だと云う。此哲人は如何《どん》な事を言っている。クロイツェル、ソナタの跋に、理想の完全に実行し得べきは真の理想でない。完全に実行し得られねばこそ理想だ。不犯《ふぼん》は基督教《キリストきょう》の理想である。故に完全に実行の出来ぬは止むを得ぬ、唯|基督教徒《キリストきょうと》は之を理想として終生追求すべきである、と言って、世間の夫婦には成るべく兄妹《けいまい》の如く暮らせと勧めている。
何の事だ? 些《ちッ》とも分らん。完全を求めて得られんなら、悶死すべきでないか? 不犯《ふぼん》が理想で、女房を貰って、子を生ませていたら、普通の堕落に輪を掛た堕落だ。加之《しか》も一旦貰った女房は去るなと言うでないか? 女房を持つのが堕落なら、何故一念発起して赤の他人になッ了《ちま》えといわぬ。一生離れるなとは如何《どう》いう理由《わけ》だ? 分らんじゃないか?
今食う米が無くて、ひもじい腹を抱《かかえ》て考え込む私達だ。そんな伊勢屋《いせや》の隠居が心学に凝り固まったような、そんな暢気《のんき》な事を言って生きちゃいられん!
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