ばかり。
私は何方《どッち》へ廻っても、矢張《やッぱり》好《い》い児《こ》だ。
五
親馬鹿と一口に言うけれど、親の馬鹿程有難い物はない。祖母は勿論、両親とても決して馬鹿ではなかったが、その馬鹿でなかった人達が、私の為には馬鹿になって呉れた。勿体ないと言わずには居られない。
私に何の取得がある? 親が身の油を絞って獲た金を、私の教育に惜気《おしげ》もなく掛けて呉れたのは、私を天晴《あッぱ》れ一人前の男に仕立てたいが為であったろうけれど、私は今|眇《びょう》たる腰弁当で、浮世の片影《かたかげ》に潜んでいる。私が生きていたとて、世に寸益もなければ、死んだとて、妻子の外に損を受ける者もない。世間から見れば有っても無くても好《い》い余計な人間だ。財産なり、学問なり、技能なり、何か人より余計に持っている人は、其余計に持っている物を挟《さしはさ》んで、傲然として空嘯《そらうそぶ》いていても、人は皆其|足下《そっか》に平伏する。私のように何も無い者は、生活に疲れて路傍《みちばた》に倒れて居ても、誰一人《たれひとり》振向いて見ても呉れない。皆|素通《すどおり》して※[#「勹
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