キか、二つ一つだ。で、私は後《のち》の方針を執《と》って、物をも言わず卒然《いきなり》雪江さんの部屋を逃出して了った……

          四十

 何故|彼時《あのとき》私は雪江さんの部屋を逃出したのだというと、非常に怕《おそ》ろしかったからだ。何が怕《おそ》ろしかったのか分らないが、唯何がなしに非常に怕《おそ》ろしかったのだ。
 生死の間《あいだ》に一線を劃して、人は之を越えるのを畏《おそ》れる。必ずしも死を忌《い》むからではない。死は止むを得ぬと観念しても、唯此一線が怕《おそ》ろしくて越えられんのだ。私の逃出したのが矢張《やッぱり》それだ。女を知らぬ前と知った後《のち》との分界線を俗に皮切りという。私は性慾に駆られて此線の手前迄来て、これさえ越えれば望む所の性慾の満足を得られると思いながら、此線が怕《おそ》ろしくて越えられなかったのだ。越えたくなくて越えなかったのではなくて、越えたくても越えられなかったのだ。其後《そのご》幾年《いくねん》か経《た》って再び之を越えんとした時にも矢張《やッぱり》怕《おそ》ろしかったが、其時は酒の力を藉《か》りて、半狂気《はんきちがい》になって、
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