引立られ、がやがや喚きながらも坐舗《ざしき》を連れ出されて、稍々《やや》部屋へ収まッたようす。
 となッて、文三始めて人心地が付いた。
 いずれ宛擦《あてこす》りぐらいは有ろうとは思ッていたが、こうまでとは思い掛けなかッた。晴天の霹靂《へきれき》、思いの外なのに度肝《どぎも》を抜かれて、腹を立てる遑《いとま》も無い。脳は乱れ、神経は荒れ、心神《しんじん》錯乱して是非の分別も付かない。只《ただ》さしあたッた面目なさに消えも入りたく思うばかり。叔母を観れば、薄気味わるくにやりとしている。このままにも置かれない、……から、余義なく叔母の方へ膝を押向け、おろおろしながら、
「実に……どうもす、す、済まんことをしました……まだお咄はいたしませんでしたが……一昨日|阿勢《おせい》さんに……」
 と云いかねる。
「その事なら、ちらと聞きました」と叔母が受取ッてくれた。「それはああした我儘者ですから、定めしお気に障るような事もいいましたろうから……」
「いや、決してお勢さんが……」
「それゃアもう」と一越《いちおつ》調子高に云ッて、文三を云い消してしまい、また声を並に落して、「お叱んなさるも、あれの身の為めだから、いいけれども、只まだ婚嫁前《よめいりまえ》の事《こっ》てすから、あんな者《もん》でもね、余《あんま》り身体《からだ》に疵《きず》の……」
「いや、私は決して……そんな……」
「だからさ、お云いなすッたとは云わないけれども、これからも有る事《こっ》たから、おねがい申して置くンですよ。わるくお聞きなすッちゃアいけないよ」
 ぴッたり釘《くぎ》を打たれて、ぐッとも云えず、文三は只|口惜《くちお》しそうに叔母の顔を視詰めるばかり。
「子を持ッてみなければ、分らない事《こっ》たけれども、女の子というものは嫁《かたづ》けるまでが心配なものさ。それゃア、人さまにゃアあんな者《もん》をどうなッてもよさそうに思われるだろうけれども、親馬鹿とは旨《うま》く云ッたもンで、あんな者《もん》でも子だと思えば、有りもしねえ悪名《あくみょう》つけられて、ひょッと縁遠くでもなると、厭《いや》なものさ。それに誰にしろ、踏付られれゃア、あンまり好い心持もしないものさ、ねえ、文さん」
 もウ文三|堪《たま》りかねた。
「す、す、それじゃ何ですか……私が……私がお勢さんを踏付たと仰ッしゃるンですかッ?」
「可畏《こわ》い事をお云いなさるねえ」とお政はおそろしい顔になッた。「お前さんがお勢を踏付たと誰が云いました? 私ア自分にも覚えが有るから、只の世間咄に踏付られたと思うと厭なもンだと云ッたばかしだよ。それをそんな云いもしない事をいって……ああ、なんだね、お前さん云い掛りをいうンだね? 女だと思ッて、そんな事を云ッて、人を困らせる気だね?」
 と層《かさ》に懸ッて極付《きめつけ》る。
「ああわるう御座ンした……」と文三は狼狽《あわ》てて謝罪《あやま》ッたが、口惜《くちお》し涙が承知をせず、両眼に一杯|溜《たま》るので、顔を揚げていられない。差俯向《さしうつむ》いて「私が……わるう御座ンした……」
「そうお云いなさると、さも私が難題でもいいだしたように聞こゆるけれども、なにもそう遁《に》げなくッてもいいじゃないか? そんな事を云い出すからにゃア、お前さんだッて、何か訳が無《なく》ッちゃア、お云いなさりもすまい?」
「私がわるう御座ンした……」と差俯向いたままで重ねて謝罪《あやまっ》た。「全くそんな気で申した訳じゃア有りませんが……お、お、思違いをして……つい……失礼を申しました……」
 こう云われては、さすがのお政ももう噛付《かみつ》きようが無いと見えて、無言で少選《しばらく》文三を睨《ね》めるように視ていたが、やがて、
「ああ厭だ厭だ」と顔を皺《しか》めて、「こんな厭な思いをするも皆《みんな》彼奴《あいつ》のお蔭《かげ》だ。どれ」と起ち上ッて、「往ッて土性骨《どしょうぼね》を打挫《ぶっくじ》いてやりましょう」
 お政は坐舗を出てしまッた。
 お政が坐舗を出るや否《いな》や、文三は今までの溜涙《ためなみだ》を一時にはらはらと落した。ただそのまま、さしうつむいたままで、良《やや》久《しば》らくの間、起ちも上がらず、身動きもせず、黙念として坐ッていた。が、そのうちにお鍋が帰ッて来たので、文三も、余義なく、うつむいたままで、力無さそうに起ち上り、悄々《すごすご》我部屋へ戻ろうとして梯子段《はしごだん》の下まで来ると、お勢の部屋で、さも意地張ッた声で、
「私ゃアもう家《うち》に居るのは厭だ厭だ」

     第十六回

 あれほどまでにお勢|母子《おやこ》の者に辱《はずかし》められても、文三はまだ園田の家を去る気になれない。但《た》だ、そのかわり、火の消えたように、鎮《しず》まッてしまい、いとど無口が一層口を開《き》かなくなッて、呼んでも捗々《はかばか》しく返答をもしない。用事が無ければ下へも降りて来ず、只《ただ》一|間《ま》にのみ垂れ籠《こ》めている。余り静かなので、つい居ることを忘れて、お鍋が洋燈《ランプ》の油を注がずに置いても、それを吩咐《いいつ》けて注がせるでもなく、油が無ければ無いで、真闇《まっくら》な坐舗《ざしき》に悄然《しょんぼり》として、始終何事をか考えている。
 けれど、こう静まッているは表相《うわべ》のみで、乞の胸臆《きょうおく》の中《うち》へ立入ッてみれば、実に一方《ひとかた》ならぬ変動。あたかも心が顛動《てんどう》した如くに、昨日《きのう》好いと思ッた事も今日は悪く、今日悪いと思う事も昨日は好いとのみ思ッていた。情慾の曇が取れて心の鏡が明かになり、睡入《ねい》ッていた智慧《ちえ》は俄《にわか》に眼を覚まして決然として断案を下し出す。眼に見えぬ処《ところ》、幽妙の処で、文三は――全くとは云わず――稍々《やや》変生《うまれかわ》ッた。
 眼を改めてみれば、今まで為《し》て来た事は夢か将《は》た現《うつつ》か……と怪しまれる。
 お政の浮薄、今更いうまでも無い。が、過《あや》まッた文三は、――実に今まではお勢を見謬《みあや》まッていた。今となッて考えてみれば、お勢はさほど高潔でも無《ない》。移気、開豁《はで》、軽躁《かるはずみ》、それを高潔と取違えて、意味も無い外部の美、それを内部のと混同して、愧《はず》かしいかな、文三はお勢に心を奪われていた。
 我に心を動かしていると思ッたがあれが抑《そもそ》も誤まりの緒《いとぐち》。苟《かりそ》めにも人を愛するというからには、必ず先《ま》ず互いに天性気質を知りあわねばならぬ。けれども、お勢は初《はじめ》より文三の人と為《な》りを知ッていねば、よし多少文三に心を動かした如き形迹《けいせき》が有《あれ》ばとて、それは真に心を動かしていたではなく、只ほんの一時|感染《かぶ》れていたので有ッたろう。
 感受の力の勝つ者は誰しも同じ事ながら、お勢は眼前に移り行く事や物やのうち少しでも新奇な物が有れば、眼早くそれを視て取ッて、直ちに心に思い染《し》める。けれども、惜しいかな、殆《ほとん》ど見たままで、別に烹煉《ほうれん》を加うるということをせずに、無造作にその物その事の見解を作ッてしまうから、自《おのずか》ら真相を看破《あきら》めるというには至らずして、動《やや》もすれば浅膚《せんぷ》の見《けん》に陥いる。それゆえ、その物に感染《かぶ》れて、眼色《めいろ》を変えて、狂い騒ぐ時を見れば、如何《いか》にも熱心そうに見えるものの、固《もと》より一時の浮想ゆえ、まだ真味を味《あじわ》わぬうちに、早くも熱が冷めて、厭気になッて惜し気もなく打棄ててしまう。感染《かぶ》れる事の早い代りに、飽きる事も早く、得る事に熱心な代りに、既に得た物を失うことには無頓着《むとんじゃく》。書物を買うにしても、そうで、買いたいとなると、矢も楯《たて》もなく買いたがるが、買ッてしまえば、余り読みもしない。英語の稽古《けいこ》を初めた時も、またその通りで、初めるまでは一|日《じつ》をも争ッたが、初めてみれば、さほどに勉強もしない。万事そうした気風で有てみれば、お勢の文三に感染《かぶ》れたも、また厭《あ》いたも、その間にからまる事情を棄てて、単にその心状をのみ繹《たず》ねてみたら、恐らくはその様な事で有ろう。
 かつお勢は開豁《はで》な気質、文三は朴茂《じみ》な気質。開豁が朴茂に感染れたから、何処《どこ》か仮衣《かりぎ》をしたように、恰当《そぐ》わぬ所が有ッて、落着《おちつき》が悪かッたろう。悪ければ良くしようというが人の常情で有ッてみれば、仮令《たと》え免職、窮愁、耻辱《ちじょく》などという外部の激因が無いにしても、お勢の文三に対する感情は早晩一変せずにはいなかッたろう。
 お勢は実に軽躁《かるはずみ》で有る。けれども、軽躁で無い者が軽躁な事を為《し》ようとて為得ぬが如く、軽躁な者は軽躁な事を為まいと思ッたとて、なかなか為《し》ずにはおられまい。軽躁と自《みずか》ら認めている者すら、尚おこうしたもので有ッてみれば、況《ま》してお勢の如き、まだ我をも知らぬ、罪の無い処女が己《おのれ》の気質に克《か》ち得ぬとて、強《あなが》ちにそれを無理とも云えぬ。若《も》しお勢を深く尤《とが》む可《べ》き者なら、較《くら》べて云えば、稍々《やや》学問あり智識ありながら、尚お軽躁《けいそう》を免がれぬ、譬《たと》えば、文三の如き者は(はれやれ、文三の如き者は?)何としたもので有ろう?
 人事《ひとごと》で無い。お勢も悪るかッたが、文三もよろしく無かッた。「人の頭の蠅《はえ》を逐《お》うよりは先ず我頭のを逐え」――聞旧《ききふる》した諺《ことわざ》も今は耳新しく身に染《し》みて聞かれる。から、何事につけても、己《おのれ》一人《いちにん》をのみ責めて敢《あえ》て叨《みだ》りにお勢を尤《とが》めなかッた。が、如何に贔負眼《ひいきめ》にみても、文三の既に得た所謂《いわゆる》識認というものをお勢が得ているとはどうしても見えない。軽躁《けいそう》と心附かねばこそ、身を軽躁に持崩しながら、それを憂《う》しとも思わぬ様子※[#白ゴマ点、190−1]|醜穢《しゅうかい》と認めねばこそ、身を不潔な境に処《お》きながら、それを何とも思わぬ顔色《かおつき》。これが文三の近来最も傷心な事、半夜夢覚めて燈《ともしび》冷《ひやや》かなる時、想《おも》うてこの事に到れば、毎《つね》に悵然《ちょうぜん》として太息《たいそく》せられる。
 して見ると、文三は、ああ、まだ苦しみが甞《な》め足りぬそうな!

     第十七回

 お勢のあくたれた時、お政は娘の部屋で、凡《およ》そ二時間ばかりも、何か諄々《くどくど》と教誨《いいきか》せていたが、爾後《それから》は、どうしたものか、急に母子《おやこ》の折合が好《よく》なッて来た。取分けてお勢が母親に孝順《やさしく》する、折節には機嫌《きげん》を取るのかと思われるほどの事をも云う。親も子も睨《ね》める敵《かたき》は同じ文三ゆえ、こう比周《したしみあ》うもその筈《はず》ながら、動静《ようす》を窺《み》るに、只《ただ》そればかりでも無さそうで。
 昇はその後ふッつり遊びに来ない。顔を視《み》れば鬩《いが》み合う事にしていた母子ゆえ、折合が付いてみれば、咄《はなし》も無く、文三の影口も今は道尽《いいつく》す、――家内が何時《いつ》からと無く湿ッて来た。
「ああ辛気《しんき》だこと!」と一夜《あるよ》お勢が欠《あく》びまじりに云ッて泪《なみだ》ぐンだ。
 新聞を拾読《ひろいよみ》していたお政は眼鏡越しに娘を見遣《みや》ッて、「欠びをして徒然《つくねん》としていることは無《ない》やアね。本でも出して来てお復習《さらい》なさい」
「復習《さらえ》ッて」とお勢は鼻声になッて眉《まゆ》を顰《ひそ》めた。
「明日《あした》の支度《したく》はもう済してしまッたものを」
「済ましッちまッたッて」
 お政は復《また》新聞に取掛ッた。
「慈母《おっか》さん」とお勢は何をか憶出して事有り気に云ッ
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