ヘ、一人は今様おはつとか称《とな》える突兀《とっこつ》たる大丸髷、今一人は落雪《ぼっとり》とした妙齢の束髪頭、孰《いず》れも水際《みずぎわ》の立つ玉|揃《ぞろ》い、面相《かおつき》といい風姿《ふうつき》といい、どうも姉妹《きょうだい》らしく見える。昇はまず丸髷の婦人に一礼して次に束髪の令嬢に及ぶと、令嬢は狼狽《あわて》て卒方《そっぽう》を向いて礼を返えして、サット顔を※[#「赤+報のつくり」、87−7]《あから》めた。
 暫らく立在《たたずん》での談話《はなし》、間《あわい》が隔離《かけはな》れているに四辺《あたり》が騒がしいのでその言事は能《よ》く解らないが、なにしても昇は絶えず口角《くちもと》に微笑を含んで、折節に手真似をしながら何事をか喋々《ちょうちょう》と饒舌り立てていた。その内に、何か可笑しな事でも言ッたと見えて、紳士は俄然《がぜん》大口を開《あ》いて肩を揺ッてハッハッと笑い出し、丸髷の夫人も口頭《くちもと》に皺《しわ》を寄せて笑い出し、束髪の令嬢もまた莞爾《にっこり》笑いかけて、急に袖で口を掩《おお》い、額越《ひたえごし》に昇の貌を眺めて眼元で笑った。身に余る面目に昇は得々として満面に笑いを含ませ、紳士の笑い罷《や》むを待ッてまた何か饒舌り出した。お勢|母子《おやこ》の待ッている事は全く忘れているらしい。
 お勢は紳士にも貴婦人にも眼を注《と》めぬ代り、束髪の令嬢を穴の開く程|目守《みつ》めて一心不乱、傍目《わきめ》を触らなかった、呼吸《いき》をも吻《つ》かなかッた、母親が物を言懸けても返答もしなかった。
 その内に紳士の一行がドロドロと此方《こちら》を指して来る容子を見て、お政は茫然《ぼうぜん》としていたお勢の袖を匆《いそが》わしく曳揺《ひきうご》かして疾歩《あしばや》に外面《おもて》へ立出で、路傍《みちばた》に鵠在《たたずん》で待合わせていると、暫らくして昇も紳士の後《しりえ》に随って出て参り、木戸口の所でまた更に小腰を屈《かが》めて皆それぞれに分袂《わかれ》の挨拶《あいさつ》、叮嚀に慇懃《いんぎん》に喋々しく陳《の》べ立てて、さて別れて独り此方《こちら》へ両三歩来て、フト何か憶出したような面相をしてキョロキョロと四辺《あたり》を環視《みま》わした。
「本田さん、此処だよ」
 ト云うお政の声を聞付けて、昇は急足《あしばや》に傍《そば》へ歩寄《あゆみよ》り、
「ヤ大《おおき》にお待遠う」
「今の方は」
「アレガ課長です」
 ト云ってどうした理由《わけ》か莞爾々々《にこにこ》と笑い、
「今日来る筈《はず》じゃ無かッたんだが……」
「アノ丸髷に結《い》ッた方は、あれは夫人《おくさま》ですか」
「そうです」
「束髪の方は」
「アレですか、ありゃ……」
 ト言かけて後を振返って見て、
「妻君の妹です……内で見たよりか余程《よっぽど》別嬪《べっぴん》に見える」
「別嬪も別嬪だけれども、好いお服飾《こしらえ》ですことネー」
「ナニ今日はあんなお嬢様然とした風をしているけれども、家《うち》にいる時は疎末《そまつ》な衣服《なり》で、侍婢《こしもと》がわりに使われているのです」
「学問は出来ますか」
 ト突然お勢が尋ねたので、昇は愕然として、
「エ学問……出来るという噺《はなし》も聞かんが……それとも出来るかしらん。この間から課長の所に来ているのだから、我輩もまだ深くは情実《ようす》を知らないのです」
 ト聞くとお勢は忽ち眼元に冷笑の気を含ませて、振反って、今|将《まさ》に坂の半腹《ちゅうと》の植木屋へ這入ろうとする令嬢の後姿を目送《みおく》ッて、チョイと我帯を撫《な》でてそしてズーと澄ましてしまッた。
 坂下《さかじた》に待たせて置た車に乗ッて三人の者はこれより上野の方へと参ッた。
 車に乗ッてからお政がお勢に向い、
「お勢、お前も今のお娘《こ》さんのように、本化粧にして来りゃア宜かッたのにネー」
「厭《いや》サ、あんな本化粧は」
「オヤ何故《なぜ》え」
「だッて厭味ッたらしいもの」
「ナニお前十代の内なら秋毫《ちっと》も厭味なこたア有りゃしないわネ。アノ方が幾程《いくら》宜か知れない、引立《ひッたち》が好くッて」
「フフンそんなに宜きゃア慈母《おッか》さんお做《し》なさいな。人が厭だというものを好々《いいいい》ッて、可笑しな慈母さんだよ」
「好と思ッたから唯好じゃ無いかと云ッたばかしだアネ、それをそんな事いうッて真個《ほんと》にこの娘は可笑しな娘だよ」
 お勢はもはや弁難攻撃は不必要と認めたと見えて、何とも言わずに黙してしまッた。それからと云うものは、塞《ふさ》ぐのでもなく萎《しお》れるのでもなく、唯何となく沈んでしまッて、母親が再び談話《はなし》の墜緒《ついしょ》を紹《つご》うと試みても相手にもならず、どうも乙な塩梅《あんばい》であったが、シカシ上野公園に来着いた頃にはまた口をきき出して、また旧《もと》のお勢に立戻ッた。
 上野公園の秋景色、彼方此方《かなたこなた》にむらむらと立|駢《なら》ぶ老松奇檜《ろうしょうきかい》は、柯《えだ》を交じえ葉を折重ねて鬱蒼《うっそう》として翠《みどり》も深く、観る者の心までが蒼《あお》く染りそうなに引替え、桜杏桃李《おうきょうとうり》の雑木《ざつぼく》は、老木《おいき》稚木《わかぎ》も押なべて一様に枯葉勝な立姿、見るからがまずみすぼらしい。遠近《おちこち》の木間《このま》隠れに立つ山茶花《さざんか》の一本《ひともと》は、枝一杯に花を持ッてはいれど、※[#「煢−冖」、第4水準2−79−80]々《けいけい》として友欲し気に見える。楓《もみじ》は既に紅葉したのも有り、まだしないのも有る。鳥の音《ね》も時節に連れて哀れに聞える、淋しい……ソラ風が吹通る、一重桜は戦栗《みぶるい》をして病葉《びょうよう》を震い落し、芝生の上に散布《ちりし》いた落葉は魂の有る如くに立上りて、友葉《ともば》を追って舞い歩き、フトまた云合せたように一斉《いっせい》にパラパラと伏《ふさ》ッてしまう。満眸《まんぼう》の秋色|蕭条《しょうじょう》として却々《なかなか》春のきおいに似るべくも無いが、シカシさびた眺望《ながめ》で、また一種の趣味が有る。団子坂へ行く者|皈《かえ》る者が茲処《ここ》で落合うので、処々に人影《ひとかげ》が見える、若い女の笑い動揺《どよ》めく声も聞える。
 お勢が散歩したいと云い出したので、三人の者は教育博物館の前で車を降りて、ブラブラ行きながら、石橋を渡りて動物園の前へ出《い》で、車夫には「先へ往ッて観音堂の下辺《したあたり》に待ッていろ」ト命じて其処から車に離れ、真直《まっすぐ》に行ッて、矗立千尺《ちくりゅうせんせき》、空《くう》を摩《な》でそうな杉の樹立の間を通抜けて、東照宮の側面《よこて》へ出た。
 折しも其処の裏門より Let《レット》 us《アス》 go《ゴー》 on《オン》(行こう)ト「日本の」と冠詞の付く英語を叫びながらピョッコリ飛出した者が有る。と見れば軍艦|羅紗《ラシャ》の洋服を着て、金鍍金《きんめっき》の徽章《きしょう》を附けた大黒帽子を仰向けざまに被《かぶ》った、年の頃十四歳ばかりの、栗虫のように肥《ふと》った少年で、同遊《つれ》と見える同じ服装《でたち》の少年を顧みて、
「ダガ何か食《くい》たくなったなア」
「食たくなった」
「食たくなってもか……」
 ト愚痴ッぽく言懸けて、フトお政と顔を視合わせ、
「ヤ……」
「オヤ勇《いさみ》が……」
 ト云う間もなく少年は駈《かけ》出して来て、狼狽《あわ》てて昇に三ツ四ツ辞儀をして、サッと赤面して、
「母親《おっか》さん」
「何を狼狽《あわ》てて[#「狼狽《あわ》てて」は底本では「狼狙《あわ》てて」]いるんだネー」
「家《うち》へ往ったら……鍋に聞いたら、文さんばッかだッてッたから、僕ア……それだから……」
「お前、モウ試験は済んだのかえ」
「ア済んだ」
「どうだッたえ」
「そんな事よりか、些《すこ》し用が有るから……母親さん……」
 ト心有気《こころありげ》に母親の顔を凝視《みつ》めた。
「用が有るなら茲処《ここ》でお言いな」
 少年は横目で昇の顔をジロリと視て、
「チョイと此方《こっち》へ来ておくれッてば」
「フンお前の用なら大抵知れたもんだ、また『小遣いが無い』だろう」
「ナニそんな事《こっ》ちゃない」
 ト云ッてまた昇の顔を横眼で視て、サッと赤面して、調子外れな高笑いをして、無理矢理に母親を引張ッて、彼方《あちら》の杉の樹の下《もと》へ連れて参ッた。
 昇とお勢はブラブラと歩き出して、来るともなく往《ゆ》くともなしに宮の背後《うしろ》に出た。折柄《おりから》四時頃の事とて日影も大分|傾《かたぶ》いた塩梅、立駢《たちなら》んだ樹立の影は古廟《こびょう》の築墻《ついじ》を斑《まだら》に染めて、不忍《しのばず》の池水は大魚の鱗《うろこ》かなぞのように燦《きら》めく。ツイ眼下に、瓦葺《かわらぶき》の大家根《おおやね》の翼然《よくぜん》として峙《そばだ》ッているのが視下される。アレハ大方|馬見所《ばけんじょ》の家根で、土手に隠れて形は見えないが車馬の声が轆々《ろくろく》として聞える。
 お勢は大榎《おおえのき》の根方《ねがた》の所で立止まり、翳《さ》していた蝙蝠傘《こうもりがさ》をつぼめてズイと一通り四辺《あたり》を見亘《みわた》し、嫣然《えんぜん》一笑しながら昇の顔を窺《のぞ》き込んで、唐突に、
「先刻《さっき》の方は余程《よっぽど》別嬪でしたネー」
「エ、先刻の方とは」
「ソラ、課長さんの令妹とか仰《おっ》しゃッた」
「ウー誰の事かと思ッたら……そうですネ、随分別嬪ですネ」
「そして家で視たよりか美しくッてネ。それだもんだから……ネ……貴君《あなた》もネ……」
 ト眼元と口元に一杯笑いを溜《た》めてジッと昇の貌を凝視《みつ》めて、さてオホホホと吹溢《ふきこ》ぼした。
「アッ失策《しま》ッた、不意を討たれた。ヤどうもおそろ感心、手は二本きりかと思ッたらこれだもの、油断も隙《すき》もなりゃしない」
「それにあの嬢《かた》も、オホホホ何だと見えて、お辞儀する度《たんび》に顔を真赤にして、オホホホホホ」
「トたたみかけて意地目《いじめ》つけるネ、よろしい、覚えてお出でなさい」
「だッて実際の事ですもの」
「シカシあの娘が幾程《いくら》美しいと云ッたッても、何処かの人にゃア……とても……」
「アラ、よう御座んすよ」
「だッて実際の事ですもの」
「オホホホ直ぐ復讐《ふくしゅう》して」
「真《しん》に戯談《じょうだん》は除《の》けて……」
 ト言懸ける折しも、官員風の男が十《とお》ばかりになる女の子の手を引いて来蒐《きかか》ッて、両人《ふたり》の容子を不思議そうにジロジロ視ながら行過ぎてしまッた。昇は再び言葉を続《つ》いで、
「戯談は除けて、幾程美しいと云ッたッてあんな娘にゃア、先方《さき》もそうだろうけれども此方《こッち》も気が無い」
「気が無いから横目なんぞ遣いはなさらなかッたのネー」
「マアサお聞きなさい。あの娘ばかりには限らない、どんな美しいのを視たッても気移りはしない。我輩には『アイドル』(本尊)が一人有るから」
「オヤそう、それはお芽出度う」
「ところが一向お芽出度く無い事サ、所謂《いわゆる》鮑《あわび》の片思いでネ。此方《こっち》はその『アイドル』の顔が視たいばかりで、気まりの悪いのも堪《こら》えて毎日々々その家へ遊びに往けば、先方《さき》じゃ五月蠅《うるさい》と云ッたような顔をして口も碌々《ろくろく》きかない」
 トあじな眼付をしてお勢の貌をジッと凝視《みつ》めた。その意を暁《さと》ッたか暁らないか、お勢は唯ニッコリして、
「厭な『アイドル』ですネ、オホホホ」
「シカシ考えて見れば此方《こっち》が無理サ、先方《さき》には隠然亭主と云ッたような者が有るのだから。それに……」
「モウ何時でしょう」
「それに想《おもい》を懸けるは宜く無い宜く無いと思いながら、因果とまた思い断《き》る事が出来ない。この頃じゃ夢にまで見る」
「オ
前へ 次へ
全30ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
二葉亭 四迷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング