気色《きしょく》に障わる。時計を見れば早十一時、今から荷物を取旁付《とりかたづ》けて是非とも今日中には下宿を為よう、と思えば心までいそがれ、「糞ッ止めても止まらぬぞ」ト口癖のように言いながら、熱気《やっき》となって其処らを取旁付けにかかり、何か探そうとして机の抽斗《ひきだし》を開け、中《うち》に納《い》れてあッた年頃五十の上をゆく白髪たる老婦の写真にフト眼を注《と》めて、我にもなく熟々《つらつら》と眺《なが》め入ッた。これは老母の写真で。御存知の通り文三は生得《しょうとく》の親おもい、母親の写真を視て、我が辛苦を甞《な》め艱難《かんなん》を忍びながら定めない浮世に存生《なが》らえていたる、自分|一個《ひとり》の為《ため》而已《のみ》でない事を想出《おもいいだ》し、我と我を叱《しか》りもし又励しもする事何時も何時も。今も今母親の写真を見て文三は日頃|喰付《たべつ》けの感情をおこし覚えずも悄然《しょうぜん》と萎れ返ッたが、又|悪々《にくにく》しい叔母の者面《しゃっつら》を憶出して又|熱気《やっき》となり、拳《こぶし》を握り歯を喰切《くいしば》り、「糞ッ止めて止まらぬぞ」ト独言《ひとりごと》
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