《す》るからいい」とくすぐりに懸ッたその手頭《てさき》を払らい除けて文三が熱気《やっき》となり、「アア我々の感情はまだ習慣の奴隷だ。お勢さん下へ降りて下さい」といった為めにお勢に憤られたこともあッたが……しかしお勢も日を経《ふ》るままに草臥《くたび》れたか、余りじゃらくらもしなくなって、高笑らいを罷《や》めて静かになッて、この頃では折々物思いをするようには成ッたが、文三に向ッてはともすればぞんざいな言葉遣いをするところを見れば、泣寐入りに寐入ッたのでもない光景《ようす》。
 アア偶々《たまたま》咲懸ッた恋の蕾《つぼみ》も、事情というおもわぬ沍《いて》にかじけて、可笑しく葛藤《もつ》れた縁《えにし》の糸のすじりもじった間柄、海へも附かず河へも附かぬ中ぶらりん、月下翁《むすぶのかみ》の悪戯《たわむれ》か、それにしても余程風変りな恋の初峯入り。
 文三の某省へ奉職したは昨日《きのう》今日のように思う間に既に二年近くになる。年頃節倹の功が現われてこの頃では些《すこ》しは貯金《たくわえ》も出来た事ゆえ、老※[#「者」の「日」に代えて「至」、第4水準2−85−3]《としよ》ッたお袋に何時までも一人
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