、文三が素知らぬ顔をしてふッと奥座敷を出る、その顔をお鍋は不思議そうに眺《なが》めながら、小腰を屈《ひく》めて「ちょいとお湯へ」と云ッてから、ふと何か思い出して、肝《きも》を潰《つぶ》した顔をして周章《あわて》て、「それから、あの、若し御新造《ごしんぞ》さまがお帰《かえん》なすって御膳《ごぜん》を召上《めしやが》ると仰《おッしゃ》ッたら、お膳立をしてあの戸棚《とだな》へ入れときましたから、どうぞ……お嬢さま、もう直《すぐ》宜《よ》うござんすか? それじゃア行ってまいります」。お勢は笑い出しそうな眼元でじろり文三の顔を掠《かす》めながら、手ばしこく手で持っていた編物を奥座敷へ投入れ、何やらお鍋に云って笑いながら、面白そうに打連れて出て行った。主従とは云いながら、同程《おなじほど》の年頃ゆえ、双方とも心持は朋友《ほうゆう》で、尤《もっと》もこれは近頃こうなッたので、以前はお勢の心が高ぶっていたから、下女などには容易に言葉をもかけなかった。
 出て行くお勢の後姿を目送《みおく》って、文三は莞爾《にっこり》した。どうしてこう様子が渝《かわ》ったのか、それを疑っているに遑《いとま》なく、ただ何と
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