爾《にっこり》したばかりで、また彼方《あちら》向いて、そして編物に取掛ッた。文三は酒に酔った心地、どう仕ようという方角もなく、只|茫然《ぼうぜん》として殆ど無想の境に彷徨《さまよ》ッているうちに、ふと心附いた、は今日お政が留守の事。またと無い上首尾。思い切って物を言ってみようか……と思い掛けてまたそれと思い定めぬうちに、下女部屋の紙障《しょうじ》がさらりと開く、その音を聞くと文三は我にも無く突《つ》と奥座敷へ入ッてしまった――我にも無く、殆ど見られては不可《わるい》とも思わずして。奥座敷へ入ッて聞いていると、やがてお鍋がお勢の側《そば》まで来て、ちょいと立留ッた光景《けはい》で「お待遠うさま」という声が聞えた。お勢は返答をせず、只何か口疾《くちばや》に囁《ささや》いた様子で、忍音《しのびね》に笑う声が漏れて聞えると、お鍋の調子|外《はずれ》の声で「ほんとに内海《うつ》……」「しッ!……まだ其所《そこ》に」と小声ながら聞取れるほどに「居るんだよ」。お鍋も小声になりて「ほんとう?」「ほんとうだよ」
こう成《なっ》て見ると、もう潜《ひそまッ》ているも何となく極《きまり》が悪くなって来たから
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